福岡市のショッピングモール・キャナルシティ博多にある、ナムジュン・パイクのビデオ・アート作品《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》。同施設のクリスタルキャニオンの南側ガラス壁面に設置された、180台ものブラウン管テレビが並ぶ作品だ。
ナムジュン・パイクは1932年に韓国に生まれ、日本、ドイツ、アメリカでも活動し、ヴィデオ・アートの開拓者と称される。一昨年から昨年にかけては、ロンドンのテート・モダンで大規模な回顧展「Nam June Paik」が開催された。《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》は日本に設置されたパイクの作品でも最大のものとなる。
同作は2001年頃にコントローラー(映像拡大・分配機)が故障し、エマージェンシーモードで上映を続けていた。しかし、ブラウン管モニターの故障消灯が多数を占めるようになり、また修理計画の目処がついたことから、2019年からは映像の放映を停止していた。そして今年8月、停止前から続けていた調査と作業を経て、同作の修繕が完了した。現在はすべてのモニターが映像を映し出し、開業当時の姿が改めて見られるようになっている。
世界的にビデオ・アート等の電子機器を使用した作品が経年劣化によって制作時の状態を保てなくなり、その保存や修繕が課題となっている。こうした状況のなか、同作の修繕がいかにして行われ、そこにはどのような思いがあったのか。キャナルシティ博多管理事務所の溝口直美への取材をもとにお伝えする。
《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》とは何か
まずは、同作が設立された背景について確認したい。旧福岡シティ銀行頭取の四島司が、チェース・マンハッタン銀行(現JPモルガンチェース銀行)のロビーにあるパイクの作品をみて感銘を受けたことが、パイク作品設置の端緒となる。
パイクが福岡アジア文化賞受賞のために来日するタイミングで、四島は当時建設中だったキャナルシティ博多内への常設作品の制作依頼を行った。四島の「キャナルにアジアのゲートウェイ都市としてふさわしいモニュメントを」という思いにパイクは賛同し、「渓谷に掛かる虹のイメージ」で作品を制作する。
制作作業ではパイクのアシスタントのジョン・ホフマンが3度にわたり来日。映像素材の撮影収集と、作品施工の管理を行った。そして1996年4月、キャナルシティ博多の開業時に同作は披露されたが、パイクはその直前に脳梗塞で倒れており、来日することは叶わなかった。
作品は制作当時最新だった3DCGやテレビ放送等の断片的な映像を、180台のブラウン管テレビによって繰り返し映し出す。「来るべき情報化社会」を予見し、人生に数多くの「幸福」を詰め込む様相が表現されている。
モニターとコントローラー、ふたつの課題
同作の修繕においては、解決すべきふたつの問題があった。ひとつは映像を映すブラウン管モニターの故障の問題。もうひとつは映像を制御するコントローラーの故障の問題だ。
ブラウン管モニターの故障に関しては、2015年に映像をフルデジタル化し、液晶ディスプレイを使用して作品を再現する案をまとめていた。しかし、作品のオリジナル性を鑑みて、この案は見送られることになる(デジタル化の検討は継続され、ビデオアートセンター東京の代表理事を務める瀧健太郎へのヒアリングなどを続けていた)。
こうしたなか、2017年に韓国のアートコーディネーターからオリジナルに近いブラウン管モニターによる修復提案を受ける。しかし、すでにブラウン管モニターの生産は終了しており、世界各国のパイクの作品のなかでも小型モニターを使用している作品には修復が不可能なものも多かった。幸いなことに、キャナルシティ博多の《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》は家庭用の21インチ汎用モニターを使用していたため、かろうじて中古市場のものを集めることが可能だった。溝口によれば、5年後のいま同じことをやろうとしても、ブラウン管モニターの流通数から難しいだろうとのことで、タイミングとしては最後の機会だったといえる。
いっぽうのコントローラーも劣化が激しく、その修繕にはブラウン管モニター以上に苦労を強いられたという。《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》の各モニターは、それぞれが独立した映像を映して作品を構成しているのではなく、内部のプログラムによってすべてのモニターを統括し、映像ソースを分配させて映し出している。つまり、このコントローラーに不具合が生じると、モニターの集合によって構成される映像が再現できなくなるわけだ。
コントローラーの厳密な修理復元は不可能な状態だったものの、内部の集積回路は生きており、映像を映し出すプログラムの解析が可能だった。このプログラムが解析されたことで、コントローラーを再製作し、プログラムを再現することができたのだ。
なお修繕中には「映像の反転はプログラムではなく、ブラウン管テレビ基板の改造によって反転をおこなっている」といった発見もあった。しかし、多数の反転用モニターを調達するのは難易度が高く現実的ではなかったため、映像を反転させるプログラムをコントローラーに実装した。納品時の仕様書には詳細なものはなく、溝口はこのように長期間にわたって作品修繕に携わりながら、作品の構造を理解していった。
本当の成果は未来に引き継げる復元性
リバース・エンジニアリングを積み重ねながら、制作当時に近い状態で作品を鑑賞することが可能となった《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》。しかし、今回の最大の成果はこの修繕ではない。
今回の修繕を通して同作のプログラムが解析されたため、作品のコアとなるプログラムを取り出すことができた。これにより、将来的に表示メディアが変化しても、映像作品として復元が可能となったのだ。溝口は、これが今回の修繕の最大の意義だと語る。
現在の修繕された状態についても溝口は「どうがんばってもあと10年ほどしか保たせることはできないだろう」と語る。作品を未来へと受け継ぐためには、いずれにせよ新たな機器へとプログラムを移行して、現代のディスプレイ環境で再現することが必要になってくる。
「メディアアートは『転生』を繰り返す宿命にある。作品の「魂」をどうやって転生させるのか唯一の正解はなく、そのときの状況で方法の判断は変わるもの」と語る溝口。その判断の材料を探すために、識者へのヒアリングも重ねてきた。
例えば、慶應義塾大学アート・センターでアーカイヴを担当する上崎千からは「物理的なオリジナリティと作品のオリジナリティを分けるという発想で作品を生きながらえさせることが大切」という意見をもらったという。また、パイク作品の制作に技術面から携わってきたエンジニア/アーティストの阿部修也に相談した際も「パイクだったら『液晶に変えたらいいと思う』というのでは」という私見を聞いたそうだ。
こうした意見をもとに、溝口はブラウン管亡きあとの作品継続の可能性を考え続けている。今回の《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》の修繕の事例が、今後の修繕や保存に携わる人々の助けになればと溝口は語った。
最後に、溝口は本作を目にする人々に向けて、つぎのようなコメントを送った。「キャナルシティ博多の開業当時のキャッチコピーは『来てしまった未来』だった。当時のカオスな未来を象徴するビデオアートは、昔を知る人には懐かしく、若い人には逆に新鮮に感じられると思う。作品タイトルに込められているように『未来の幸福とは何か』を感じる、貴重だけれども、同時に身近な存在であり続けて欲しい」。
残された作品に込められた思いをいかに残し、伝えていけるのか。その問いへのひとつの答えとして、《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》の修繕は今後も広く共有されるべき事例だろう。