──それでいうと、日本とアボリジナル・アートの関わりはどのようなものでしょうか? 一見するとまだ関わりが薄いようにも感じられます。
日本とアボリジナル・アートの関わりは、やはり国立民族学博物館(みんぱく)による研究が大きいのかなと。民族学の視点から文化研究を行っていましたが、そのなかに必然とアボリジナル・アートが含まれているといったかたちで紹介されていたと思います。美術界で紹介され始めたのは1990年代に入ってからでしょうか。例えば、京都国立近代美術館が主催となって、アボリジナル・アートだけを紹介する展覧会が巡回したりもしていました。そう考えると、日本国内でアボリジナル・アートが注目されるようになったのはたった30年前のことです。
──そもそも、アーティゾン美術館(旧:ブリヂストン美術館)が2006年に「プリズム:オーストラリア現代美術展」を開催して以来、アボリジナル作家の作品を収集していたこと自体も今回初めて知りました。
2006年は日豪友好協力基本条約の締結から30周年の年で、展覧会はそれを記念したものでもありました。「プリズム」展は広くオーストラリアの現代美術を紹介するもので、そのなかにアボリジナル・アートも含まれていました。本展出品作家であるエミリーやジュディ・ワトソンの作品も「プリズム」展で展示されていました。翌年の2007年にオーストラリアの絵画を初めて収蔵し、その後も何度か購入の機会があり、次第に研究が進むようになりました。今回の展覧会も、その成果のひとつとなっています。
──上田さんの経歴についてもお聞かせください。上田さんはオーストラリアのアデレード大学大学院学芸員・博物館学修士課程を修了され、オーストラリア先住民美術を専門に学ばれました。その後も南オーストラリア州立美術館でインターンシップを経験され、アーティゾン美術館で学芸員になってからもオーストラリア先住民美術に関する論文を数多く執筆されています。このテーマに関心を持たれたきっかけなどがあれば教えてください。
学生のときに国立新美術館で開催された「エミリー・ウングワレー展 -アボリジニが生んだ天才画家-」(2008)を見て大きな衝撃を受けたのがきっかけのひとつでした。エミリー・ウングワレーは本展ではより現地の発音に近いエミリー・カーマ・イングワリィと表記しています。人間と芸術の関係を知りたいと考えていたので、先住民の人々による美術を勉強すればその問いへの答えに近づけるのではないかと思いました。ただ当時の私はアボリジナル・アートに対する前知識はなく、どちらかといえば学校で学んでいた西洋美術史的な文脈で作品を見ていたのだと思います。
その後オーストラリアの大学院で勉強をするのですが、ものの見方が180度変わりました。日本でエミリーを知った自分は西洋美術の枠組みでその作品を評価していたことに改めて気づかされました。現地でポストコロニアリズムの視点を通じてその美術に向き合うと、ステレオタイプのものが全部崩れ去っていく瞬間がありました。先住民の人々の目線で作品を日本に紹介する必要が今後出てくるだろうと思っていたのが、今回の展覧会企画に大きく影響しています。



















