アボリジナル・アートに見る、植民地主義の跡
──世界各地における先住民のアートは様々ですが、いずれもが西洋諸国による植民地化による影響──もっと言えば、「被害」──を被っている点は共通していると思います。アボリジナル・アートにおける西洋植民地主義との関わりについてお聞かせください。現在はどのように議論されているのでしょうか?
オーストラリアは18世紀から20世紀にかけて、長いあいだイギリスの植民地下に置かれていました。白豪主義による移民政策が行われ、その後1970年代には多文化主義へと舵を切りますが、先住民の人々が市民権を得ることができたのは1967年のことです。それまでは選挙権もなく、社会保障もないという状況でした。多文化主義に変わった現在では、先住民の人々に対する過去の行いをどのように反省して未来につないでいくかというのが積極的に議論されていますが、いまでも難しい課題を残したままです。その複雑さというのが、アボリジナル・アートにも表れていると感じます。
──今回の展覧会は女性作家にフォーカスをしているのが大きな特徴のひとつです。時代によって変化しているとは思いますが、アボリジナル・アートにおける、女性たちの文化的・社会的・歴史的な位置づけはどのようなものなのでしょうか? また、本展に関連する書籍を読んでいて思いましたが、女性の位置付けというものが男性中心的に外から形成されてきたようにも感じられます。
現代アボリジナル・アートと呼ばれる形態は1970年代に起こったもので、その始まりはアクリル絵画にあります。砂漠地方に位置するパパニアと呼ばれるアボリジナル居住区にひとりの白人男性教師が赴任していて、コミュニティの年長者であった男性たちに伝統的な図像をアクリル絵画で描くことを勧めたところ、それが大変な人気を呼びました。その結果、1972年に国内初のアボリジナル・コミュニティ主体による営利団体、パパニア・トゥーラ・アーティスト協同組合が設立されます。当時、ここで活動していた作家はすべて男性で、女性は作家として認められていませんでした。こうした構造にはふたつの理由があります。ひとつは、主流社会が男性中心であったこと。もうひとつは、アボリジナル・コミュニティの男女の役割が分かれていたことです。
当時、コミュニティを訪れる外部の人──役所の職員や、警察、人類学者など──は男性がほとんどでした。この外部の男性の相手をするのは、コミュニティの男性です。もともとコミュニティにおける役割が男女で分かれていて、女性がコミュニティ内外の男性に関係なく話しかけるということはタブー視されていました。そういった風習もあって、女性たちはどんどん外部とつながりを持たない存在となっていきました。パパニアの例にもわかるように、アボリジナルの作家によるアクリル絵画は、主流社会とコミュニティの男性同士の交流から生まれた形態でした。
女性たちは、バスケットや小さな彫刻を伝統的につくっていましたが、それは男性中心の西洋美術の価値基準からは工芸品や実用品であるとして、芸術作品としては認められませんでした。白人による主流社会が先住民コミュニティに接触をしたときに起こった男性中心の会話と、アボリジナルのコミュニティにおける女性の立場によって、女性が美術の流れのなかに組み込まれないという仕組みができてしまったというのが最初の位置付けとして挙げられます。先住民の女性たちは、いわゆるその西洋の美術の枠組みのなかでは作家として認められなかった歴史がありました。


クイーンズランド州立図書館
© Judy Watson



















