「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」における「浮標(ブイ)」と「《艀(はしけ)》」。森山未來×梅田哲也が語る、震災から30年のここから見える風景【2/3ページ】

災害との距離をどうとらえるか

──まずは梅田さんにお話をお聞きします。梅田さんはつねにリサーチや作品発表をするときの場所と、そこにまつわる記憶について興味を持たれてきたと思います。今回参加される展覧会は、阪神・淡路大震災から30年という節目において神戸で開催されるわけですが、2011年の東日本大震災や2024年の能登半島地震をはじめ、日本各地の様々な場所で震災や自然災害が起きてきました。それぞれの土地の記憶に否応なく刻まれてきた震災や災害について、梅田さんはどのようにとらえていますか。

梅田哲也 阪神・淡路大震災で言うと、自分は被災した当事者ではありませんし、当事者のなかでもグラデーションがあって、人生を絶たれた人もいるなかで、じゃあ自分はそこにどう関わるかと自問するわけですが、そもそも、他人の人生を生きることはできないという自明なことに抗う手段としてアートは有効であると感じています。2011年の東日本大震災が発生したときには、京都のVOXビルでの個展「はじめは動いていた」の準備中でした。学生たちとの共働によってつくる展覧会でしたが、震災後は展覧会のタイトルが震災の直接的な風景を想起するものではないか、といった不安が学生たちのあいだに生まれ、中止や延期も含めて協議を重ねていました。そのときは予定どおり実行する方向性を固めて、結果的に開催するに至りました。

 自然災害の影響は生きている限り当然受けてしまうものだけど、それでも作品を発表できる状況にあるならば、手は止めずに動かし続けたほうがいいのではないか。どこかの誰かにとって、少なくとも自分たちにとって必要なことと思いながらやっていました。いっぽうで、ものをつくることそのものが、自然と矛盾する側面はつねにあると思います。復興というかたちで海を埋め立てて、大きな建造物を再びつくっていくことは、経済成長を目的とした立場からすると必要なことかもしれませんが、自然の秩序とは反目する行為にも思えてきます。

《艀》および《浮標》制作風景 撮影=渡邉寿岳

──そういった観点もまさに神戸という震災を経験した土地で作品を発表するからこそ持ち得る気がしますが、今回の開催にあたって、おふたりはどのような方法で神戸のリサーチを行いましたか?

森山未來 ずっと梅田さんと神戸という土地については話していますし、それは開幕後も続けていくんだと思います。阪神・淡路大震災から30年が経ちましたが、神戸の人にとってのみならず、この30年のあいだには様々な災害が世界中で起きていて、そこにはそれぞれのリアルがある。

 だから、震災を忘れない、神戸で何が起こったのか、ということを伝えることも大事だけれど、それ以上に大切なのは、神戸、あるいは世界中の災害があった場所、あるいは災害がこれから起こるかもしれない場所、つまり全ての人々にとっての「いま」をどのように考えるかが重要なのかなと。

 震災で失われたものはたしかにありますが、同時にそれぞれの場所で多くの人がいまを生きている。

──神戸出身の森山さんは「アーティスト・イン・レジデンス神戸」の運営をはじめ、様々な行動を通じて神戸の「いま」を肌で感じられてきたわけですよね。梅田さんはそんな森山さんと、どのような対話をしながら表現の可能性を探ったのでしょうか。

梅田 未來さんは95年の阪神・淡路大震災で被災した当事者でありながらも、当事者になりきれない立場として、どのようにこの街と関わるかをずっと考え続けてきた人だと思います。「その街のこども」などこれまでの作品にもそれが如実に現れているし、その態度には一貫したものを感じます。

 だから今回は、未來さんの経験や存在そのものが街と僕とをつないで、僕もまた媒介となることで、阪神・淡路大震災を経験していない、当事者ではない人にむけて、この街の経験を閉ざされたものにしない契機をつくる、そういった機会になるんだと思います。

 ふたりとも根本にあったのは、絆とか、希望とか、復興とか、そういった言葉に対する違和感でした。そこから出発して、集団記憶としての出来事と自分たちとの関係を模索していく、そのためにずっと対話し続けている気がします。

編集部

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