「ワタリウム美術館は非常に特殊な空間だと思う。昔、和多利一家の生活空間でもあったので、家族みんなで乗っている船が移動しているように僕は見えた」と、現代美術家・梅田哲也は展覧会「wait this is my favorite part / 待ってここ好きなとこなんだ」のオープニングでそう話した。
東京・神宮前にある小さな三角形の土地に建ち、1990年にプライベート・ミュージアムとして開館したワタリウム美術館。その前身は、現在同館を運営している和多利姉弟の恵津子と浩一の母・志津子が、1972年に自宅にオープンした現代美術のギャラリー「ギャルリー・ワタリ」。さらに遡ると、同館がある三角形の土地は、1964年のオリンピックのために建設された道路が住宅密集地を切り裂いたことから発生したもので、和多利一家はその直後、同地へ引っ越してきたという。
本展で梅田は、ワタリウム美術館そのものにフォーカスし、ひとつのパフォーマンス公演のように展覧会を構成した。展示作品は同館の建築的な側面に焦点を当てて制作されており、鑑賞者がツアー進行中のところどころで登場するキャストの行動に誘導されながら、館内の展示室やバックヤードを巡って体験する展示となっている。
ツアーは4階から始まる。化粧室内と外の壁面には和多利志津子と同館の建物を設計したスイス人の建築家マリオ・ボッタの写真が展示されており、同館の原点を物語っている。真っ暗な空間でキャストがロウソクや懐中電灯の弱い光を用いて行ったパフォーマンスを鑑賞したのち、通常は公開していない事務所を通り、避難通路を経て3階の展示室へと案内される。事務所内では、アンディ・ウォーホルやキース・ヘリング、坂本龍一など、過去に同館で展覧会を行ったアーティストたちの写真や展覧会の図録などが並び、同館にまつわる記憶を感じとることができる。
3階に着くと、展示室のガラスを通して2階展示室の吹き抜け空間に工事現場で使われる足場が組まれているのが見える。88年に設置された同館の建築計画を知らせる標識を持つキャストによるパフォーマンスを見たのち、鑑賞者は展示室の横のドアから足場へと誘われる。足場でつくられた“道”を通り抜けると、2階の展示室に到着。道の突き当たりには埠頭のようなスペースがあり、「船」と呼ばれる四角い足場による空間へとつながっている。
鑑賞者が乗り込むと、2人のキャストによって操られる船は“出港”。突然、キャストのひとりが美術館の外の道路に面した展示室内の巨大な窓をゆっくりと開け(この窓は通常、大型作品の搬出入口でもある)、船を窓まで走らせると、外の道路を行き交う車や歩行者が視界に飛び込んでくる。
そして、窓は閉じられ、鑑賞者は船を降りてエレベーターで地下1階へ。薄暗い階段を抜けると(階段の数ヶ所には梅田の作品が展示され、そのあいだにある小さな部屋では、スタッフが展覧会のTシャツをプリントしている様子を見ることができる)、再び美術館の外の路面に戻る。
これでツアーは終わりと思われるかもしれないが、じつは美術館の反対側の空き地にもツアーが続く。同館に面した小さな(美術館が建つ土地と呼応するような)三角形の空き地には、和多利一家の旧宅が取り壊された後、美術館が建てられる前のその土地の写真が展示。写真の奥には、足場で組まれた2階建ての構造体があり、そこに上がるとワタリウム美術館のファサードが目の前に広がる。
足場の上で数分待つと、向かい側の美術館の2階展示室の巨大な窓がゆっくりと開けられ、20分間隔で次のツアーに参加した鑑賞者たちが船に乗って窓際に運ばれてくるのが見える。これでツアーは終了したと言える。
美術館の建物にフォーカスした純粋な鑑賞体験
本展のオープニングで同館代表の和多利浩一は、展覧会の準備のために普段使われていない多くの場所を「延々掃除した」と冗談めかしながら、梅田の作品は「細かいことがたくさん積み上がっている不思議なもの」だと評価している。
和多利によれば、梅田はまず美術館の建築の図面を依頼し、そこから本展の構想を着手し始めたという。それについて梅田はこう話している。「ワタリウム美術館に来るたびに、この建物は面白いといつも思う。しかし、展覧会開催中には壁が立ったりして、建築そのものが見えづらいときもある。だから、美術館の建築空間にフォーカスしておかしなところや面白いところを探していきたいと思っていた」。
今回のツアーでは、鑑賞者が各フロアを移動しながら、これまで展示室として使用されていなかったスペースを身近に体験することで、ボッタによる美術館の建築をより直感的にとらえることができる。
例えば、4階展示室のパフォーマンスでは、キャストが東西南北の4方向と建物の中心線を説明することで、鑑賞者が建物の全体像を把握できるようになる。2階の展示室は足場に覆われているものの、作品や壁に遮られることがないため、空間の本来の姿を味わうことができる。またツアー中には、キャストが三角形の建物の2つの角にある窓を何度も開け、鑑賞者がそれを覗いたりその空間に入ったりすることで、建物のかたちをよりダイレクトに感じられるようにもなる。
展覧会のタイトル「wait this is my favorite part / 待ってここ好きなとこなんだ」は、沖縄出身の写真家/映像作家・ミヤギフトシの映像作品にあるセリフから由来するという。梅田によれば、この言葉は音楽が流れている環境で相手が喋り出そうとするとき、好きな音楽の一節が流れて「ここが好きなとこだからちょっと聞かせて」という意味を込めたものだという。「これは親密な人にしか言えない言葉で、時間を共有し合っているのに無音になるのが素敵だと思う」(梅田)。
同館館長の和多利恵津子は、「短い時間でいかに情報を伝えるかということが多い昨今に、今回の鑑賞においてゆっとりした、待っているような、待っていないような感覚は非常に面白い」とし、本展においては「視点の変換」も重要だと強調する。
和多利はこう続ける。「見られていた人が見る立場になるなど、視点の変換をすることで頭が新しくなっていく。いまの社会では同じことが情報のなかに入り込んでしまっており、作品を見るだけでなく、こういうかたちで自分を見ることで、新しい感動や感性、自分の体験を感じていただけたら」。