東京駅と直結するビルの路面に昨年秋グランドオープンしたアートセンター「BUG」で、千賀健史個展「まず、自分でやってみる。」が開催されている。
身の回りにある事象や社会問題に目を向け、リサーチを重ね、そこに潜む意味を探究していくのが千賀の創作手法。「特殊詐欺」に焦点を合わせたという今展は、どんな仕上がりになっているのか。作家本人とともに会場を巡った。
特殊詐欺にだれもが無関係ではいられない
大通りに面したBUGは、ガラス張りで開放感にあふれている。カフェスペースを抜けて展示空間へ足を踏み入れていく。真っ先に出くわすのは、壁を覆い尽くす巨大な平面作品だ。カフェの客はもとより通行人までもが否応なく目にするであろう画面には、人の手指がいくつも組み合わさっており、その上に液体をぶちまけたような模様が浮かんでいる。たんに抽象的な図柄に見えるがそうではなく、日本円のお札がモチーフになっている。
「より多くのお金を手にしたいというのは、人間ならだれしも思うことでしょう。同時に、そうしたストレートな欲求をあからさまにせず、あの手この手でぼかしておきたいというのもまた、人の習性。日本経済の中心地であるこの場所で、お金の魔力を象徴するイメージを多くの人に見てもらいたかったので、巨大な作品を目立つところに置きました」(千賀)。
壁面に沿って、視線を横へずらしていく。ハサミやメガネ、スマホのブツ撮り、コラージュでできた人物の顔など、多様だが脈絡のないイメージが並ぶ。どの画面にも何やら不穏な空気が漂っていることだけは、共通していると感じられる。
「どのイメージももちろん、特殊詐欺をリサーチしていくなかでつくり出してきたものばかり。詐欺グループのアジトに強制捜査が入ったニュース映像からキャプチャーしたものもあれば、アジトを再現した空間で自分が詐欺の手口を真似てみながら撮影した写真もあります。いろんな要素を同時に提示することで、観る人がそれぞれにストーリーをつくり上げてくれたらと考えています。
特殊詐欺については時間をかけて綿密にリサーチしてきたので、一つひとつのイメージにしっかり意味づけを施すこともできるのですが、作者側からあまり説明し過ぎないことを心がけました。
特殊詐欺の現場では加害者も被害者も大半が、犯罪行為や組織の全体像を把握できないまま行動しています。各々が限られた情報をもとに、自分なりのストーリーを紡いで詐欺に関わっている。そのありようを、作品で踏襲したかったのです」(千賀)。
ここで改めて疑問が湧く。そもそもなぜ特殊詐欺という、その名の通り「特殊」な題材を取り上げることにしたのだろうか。
「特殊詐欺は現代社会をもっともよく映す鏡になり得ると感じたからです。きっかけは数年前、母が詐欺のターゲットになってしまったことでした。その後に親類も同様の被害に遭ったことを知りました。
それで気になって調べ出すと、自分の周りに思いのほかたくさんの被害者が、そして加害者もいることに気づきました。詐欺の一翼を担っていただろう闇バイトをしたことがあるという人も、けっこう簡単に見つかりました。いまを生きている人のだれもが無関係ではいられない問題だと痛感しました」。
「特殊詐欺にまつわる心理も独特で気になるものでした。詐欺に遭う人は被害者のはずなのに、なぜか『僕に隙があったんだ』『引っかかってしまった』と自分を責めるところがある。人にバレると『あーあ、やっちまった』と言われそうで、身内にすら隠してしまったりする。
加害者側のほうはといえば、組織的に行われている犯罪のごく一部を、全体像も知らぬまま担ってしまったにすぎない自分には、責任なんてないという心理の人が多いようです。
このところ『自己責任』ということが強く唱えられるようになってきていますが、どこかしら特殊詐欺事件の増加と関係している気がします。展名にした『まず、自分でやってみる。』という言葉は、コロナ禍に当時の首相が記者会見で用いたフレーズが元になっています。人や公に頼る前に自己責任で動けという風潮が、特殊詐欺を広める気運になっているんじゃないでしょうか」(千賀)。
自己と他者の姿が溶け合っていく
壁面の展示は続く。様々な属性の人たちのポートレイトの連なる一角があって、目を惹く。これらはすべて作家自身の顔写真をもとにつくられたものである。同じ人間が被害者にも加害者にも、どんな立場にもなり得ることを表しているのだろうか。
しかもそれらポートレイトは、どれも紙までドロドロに溶けて、像が崩れてしまっている。
「詐欺を働くとき証拠隠滅に使う紙に画像をプリントして、支持体ごと像を溶かしています。溶けてしまってもともとどんな人物の像だったかわからなくなって、これが写真か絵画かもわからなくなり、わからなさがひたすら増幅していくことができればと考えました。よく見ると作品キャプションの表示までが溶けて、読み取れなくなっているんですよ」(千賀)。
ここまできて、壁から床面へと目を移す。うっすらと白地で路らしきものが描かれていて、ところどころに文字も書いてある。《Circuit of life》と題されたひとつの作品であり、その場ですごろく遊びが楽しめるようになっている。
QRコードを自分のスマホで読み取り、アプリ内でサイコロを振る。床に広がる三つの輪のどこかに立って、サイコロの目に従って歩を進めていく。
ストップして足元に書かれたメッセージを読んでみると、
「ブランド服着て高い時計つけて良い女性連れて高級寿司食ってそんでSNSに写真アップしてやれば皆の俺を見る目が変わるはずだ」
「あの日お金を取られた事を思い出すと亡くなったお父さんに申し訳なくて悲しいし、辛い 私もボケちゃったのかしらね」
などと、加害者、被害者、傍観者それぞれの立場の心境を知れるようになっている。
加えて、ところどころに「STOP! 指令です」と書かれたコマもあり、
「壁Aに貼られた作品を一枚とって隣の輪の中に移動させなさい やらない人は隣のコースへ移動」
「コース中央に積まれた作品を一枚とってぐちゃぐちゃに丸めて持ち帰りなさい」
と指示される。これを実行しようとすると展示作品に触れなければならず、ためらいの気持ちが生じる。
「もちろん触わっていただいてかまわないのですが、ちょっと戸惑うのもたしかですよね。周りの目を気にしながらきっと、『いやいや自分は指令されたからやっているだけなんです……』と心のなかで言い訳したりするでしょう。これは、特殊詐欺でお金やクレジットカードを運ぶ『受け子』と呼ばれる役割の人の気持ちに、かなり近いはずなんです。特殊詐欺に付随する心情までを体験してもらえたら」(千賀)。
もういっぽうの壁面にも作品がランダムに並ぶ。特殊詐欺に関連する写真作品であるとともに、いずれの画面もスタイリッシュかつ造形的な美しさを帯びており、うっとり眺め続けたくなる。
ただし展示作家としては、作品が出会い頭のかっこよさのみに留まらぬよう気を配っているという。
「社会的な事象を用いて作品づくりをするうえでは、ビジュアルのかっこよさみたいなものはある程度コントロールしなければと思っています。かっこよさが先に立つと、作品を起点にものを考える余地がなくなりかねない。いっぽうで、あまりにもビジュアルがイケてないと、それはそれで人の興味関心を惹かない。いい按配を探りたいところです」(千賀)。
20点ほどの写真が直線でつながる作品もあり、これは《Eco system》と名付けられている。特殊詐欺という事象自体が、持続的なシステムを築き上げていることを示しているのだろうか。
展示を締めくくる最後の一点は《鏡》。バストアップのポートレイトなのだが、顔一面に影が落ちて真っ黒になっている。作品は反射の強いアクリルケースに覆われていることから、作品を覗き込む者の姿が黒いポートレイト上にくっきりと現れる。他者の姿に自己像が重なり溶け合い、自他の区別がつかなくなったところで「まず、自分でやってみる。」展は幕を閉じるのだった。
「いまの社会を象徴する事象である特殊詐欺を掘り下げた展示によって、私たち自身の姿を映し出すことができていればうれしいです」(千賀)。