「母」の難しさ
椿 第1章「私を見捨てないで」では、ルイーズが一生を通じて抱えた見捨てられることへの恐怖などを表現した作品を展示しています。最初の展示室では、性器や耳、頭、腕など、身体の断片をモチーフとした作品が並びます。
吉田 壁に投写された言葉の数々がとても印象的ですね。
椿 これはルイーズが精神分析を受けていた際の夢日記や記録を含む、彼女自身が書いた言葉をもとに、米国のコンセプチュアル・アーティスト、ジェニー・ホルツァーが本展のために新たに制作したライト・プロジェクション作品です。
吉田 流れてくる言葉の一つひとつの言葉が素晴らしいと感じました。言葉を扱う職業の人間として学びがたくさんありましたし、単語の選び方にしても強いこだわりを感じました。ルイーズの強い思いを正確に伝えたい、という言葉に対する使命がここには詰まっていますよね。
椿 次の部屋にある巨大な蜘蛛の彫刻《かまえる蜘蛛》(2003)で掲示されている言葉「生まれるとは追い出されること 見放されること、そこから憤りが生じる」といった言葉なども象徴的ですよね。ルイーズは生まれたときにまでさかのぼって、自分という存在を問い続けている。娘としても、母としても、自分が何者なのかをつねに問い続けているわけです。
屋外彫刻の《ママン》もですが、90年代以降、ルイーズのつくる蜘蛛は母蜘蛛なんですよね。子供を守ろうとすると同時に外部を攻撃する、そして時には子供にとっても脅威となる暴力的な側面も持っています。
吉田 母性とひとことで言っても、複雑ですよね。私自身も子育てをしていますが、それはたんなる作業ではなく、精神的にも肉体的にも複雑な要素が絡み合う。作品において子育てをモチーフとすることについては、私も色々な側面からよく考えます。そこには、ただハッピーな時間があるわけではないですし、100人の母がいれば100人の子育てがあり、悩みや苦しみがある。本当に、母になるというのは複雑な問題だと思います。
椿 そして、第1章の最後となる展示室では、スパイラル状の形をした巨大な銀色の《カップル》(2003)を展示しています。このカップルが男女なのかもわからないですが、それぞれのスパイラル(渦)のエネルギーのバランスが取れた状態を表しているようです。
吉田 これまで展示されていた作品とはまた異なり、男女の肉体的な特徴がすべて見えないようになっていますよね。男女でも男性同士・女性同士でも、それ以外でもあり得る。男女それぞれの性的な表象に目が行きがちですが、ルイーズはもっと踏み込んで、人間同士の関係値を表現している。それが端的に現れているような気がします。
椿 男女の差異を超えているという点では、立体の後ろに展示している、手を描いたドローイングシリーズ《午前10時にあなたがやってくる》(2007)も象徴的だと思います。これはルイーズのことを80年から亡くなる2010年まで支え続けた若い男性アシスタントの手と、自分の手をモチーフにした作品。ふたりのあいだには愛というか、優しい関係性があったのだと感じられます。