ルイーズ・ブルジョワとは何者か
椿玲子 みなさんもご存知のように、六本木ヒルズの広場にあるパブリック・アート、ルイーズ・ブルジョワの《ママン》は、2003年の4月の開業時以来、六本木ヒルズの象徴として親しまれてきました。それもあって、いつかはこのブルジョワの展覧会を森美術館にやらなきゃいけない、と思っていたのですが、ようやくそれが実現したのが本展となります。吉田さんは本展、どのようにご覧になりましたか。
吉田恵里香 本展はルイーズさんの「強さ」と「弱さ」、双方が表現されていたと思いますが、私はとくに「弱さ」の部分にすごく惹かれました。「弱い自分を認めたうえで何を発信していくのか、そして発信せざるを得なかったのか」ということは、自分の創作活動に通じる点もあったので、鑑賞後はすごく「食らって」しまったのが現実です。
椿 おっしゃるとおり「弱さ」というのは、ルイーズを語るうえでとても重要な視点だと思います。彼女の経歴を改めて確認しますと、ルイーズは1911年にフランスの裕福な家に生まれました。でも、彼女のお父さんは英国人の若い家庭教師と10年に渡る不倫をしていたし、お母さんはスペイン風邪にかかっていてルイーズはその面倒をずっと見ていて、いまで言うヤングケアラーとしての青少年時代を過ごした。ルイーズが20歳のときにお母さんが亡くなり、ルイーズは自殺を試みることになりますが、一命を取り留めます。
その後、ルイーズは数学を大学で学ぶのですが、数学よりも彼女にとっては確かだと思える自身の感情を表現すべく美術に惹かれていく。フランスの名だたる美術大学で学び、表現活動を始めていたときに出会って結婚したのが美術史家のロバート・ゴールドウォーターでした。当時はロバートのほうがずっと有名で、その影にルイーズが隠れてしまっていた、ということも見逃せないところです。
51年に父が亡くなると、喪失のショックからルイーズは鬱病になってしまいます。支配的な父をルイーズは憎んでいたはずですが、同時に愛してもいた。複雑な関係だったのですよね。その後10年ほど、彼女の作品発表は止まってしまいますが、精神分析などを経て、やがて抽象的な身体表現などに取り組み始めます。
73年、夫が亡くなると、当時のフェミニズム運動の盛り上がりとともに、女性のアーティストやキュレーターの有志がルイーズの展覧会をやるべきだとニューヨーク近代美術館(MoMA)へ手紙を送ります。82年にようやくMoMAでの個展が開催されて以降、彼女は時代の寵児となっていきます。いっぽうでルイーズは2人の実子と1人の養子を育てる母親でもあり、自分の不安定さゆえに「良い母親ではなかった」という意識もつねに持っていたようです。
長くなりましたが、こうして見てみると彼女にとって「家族」というのがアーティストとしての根幹に関わるものだとわかると思います。吉田さんがおっしゃっていたような「強さ」と「弱さ」、そのどちらもがこの「家族」に所以するようにも思えます。