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ナン・ゴールディンとは何者か──4つのポイントから作家像にせまる

昨年の『ArtReview』によるアートシーンの影響力ランキング「Power 100」で1位を獲得したナン・ゴールディン。そのキャリアは性的マイノリティの知人らとの親密な関係性を切り取った写真から始まった。エイズ危機やオピオイド中毒といった社会問題、そしてアートを支える構造そのものを鋭く批判し続け、強い影響力を持つに至った彼女について知っておきたいことを、写真研究/美術批評の村上由鶴が解説する。

文=村上由鶴

ナン・ゴールディン Photo by Daniel Zuchnik (C)getty images

 2024年3月29日にナン・ゴールディンのドキュメンタリー映画『美と殺戮のすべて』が日本で公開される。本作は『シチズンフォー スノーデンの暴露』の監督を務めたローラ・ポイトラスが、オピオイド危機に対する事態改善を求め、ナン・ゴールディンが立ち上げた団体「P.A.I.N.」の活動と、彼女のこれまでの人生にせまったドキュメンタリーである。

 ナン・ゴールディンは、1953年生まれの写真家で、アクティヴィストである。2023年には、美術雑誌『ArtReview』が毎年発表する、国際的なアートシーンにおける影響力の強さを示すランキング「Power 100」で、1位を獲得した。ここでは、現在、改めて世界のアートシーンで存在感を増しているナン・ゴールディンを理解するために知っておきたいことを、4つのポイントで解説する。

『ArtReview』の「Power 100」のウェブサイト(https://artreview.com/power-100)より

1. ナン・ゴールディンとは何者か?

 ナン・ゴールディンは、ゲイやレズビアン、トランスジェンダー、そしてドラァグクイーンを好奇の視点からではなく、セクシュアリティを尊重したうえで、コミュニティの内側の視点からとらえた先駆的な写真家のひとりである。

 現在70歳のナン・ゴールディンは、アメリカ・ワシントンD.C.の中流階級の両親のもとに生まれた。彼女が11歳のときに、セクシュアリティの悩みを抱えていた姉のバーバラが18歳で自殺したことにより陰惨な子供時代を送り、その後、わずか14歳のときにはナンも養子縁組に出されたという。

 18歳からはボストンでドラァグクィーンたちとの生活を始め、その様子を写真に撮った。その後、性的マイノリティの友人や恋人たちとの親密な時間、その退廃的な美しさをとらえた《性的依存のバラード(The Ballad of Sexual Dependency)》(1979-)で世界的な注目を集め、現在も写真表現に影響を与え続けている。

 2017年に、アメリカ国内で過去20年に50万人以上の死者を出している麻薬性鎮痛薬オピオイドの問題に取り組む団体「P.A.I.N. ( Prescription Addiction Intervention Now )」を立ち上げ、抗議活動のほか、法廷での証言や被害者の支援を行っている。また、2023年10月以降は、イスラエル政府によるパレスチナ・ガザ地区での虐殺や、親イスラエル的な情報発信を行うメディアに対しても抗議の行動を起こしている。

ニューヨーク州ホワイトプレーンズの連邦裁判所の外で、サックラー・ファミリーがオピオイド中毒の刑事訴追を免れて数十億ドルを保持できるようにするパーデュー製薬との破産協定に抗議しダイインをするゴールディン Photo by Andrew Lichtenstein/Corbis via Getty Images

2.作品の特徴

 ゴールディンを含め、ボストン美術館付属学校で写真を学んだ写真家たちは、「ボストン派」と呼ばれる。ボストン派の特徴は、性的マイノリティのヌードやセックスの描写などを含むコミュニティの親密かつ率直なとらえ方にある。ボストン派が活躍し始めたころ、現在ではLGBTQ+と呼称されている人々の生と性については、多くの人は知らなかったか、あるいは、色眼鏡で見ていた。当時の多くの写真家にも同様の傾向があり、部外者や旅行者として、あるコミュニティを「客観的に」撮影する手法が主流であった。こうした時代に、社会から疎外されているコミュニティの一員として、彼ら・彼女らに寄り添い、その姿をとらえたボストン派は、新たな写真家像を示したと言える。

 そのなかで、ゴールディンは、「拡大家族」と称する仲間たちの姿、自身や友人の性行為、ドラッグへの依存、そして、DV被害とその回復を記録した700枚超の写真をスライドショーとしてまとめ、《性的依存のバラード(The Ballad of Sexual Dependency)》と題してナイトクラブで上映イベントを開催した。

 ゴールディンの写真において鏡やウィンドウに映る自分を見つめる人物が繰り返し登場するのは、外部からののぞき見的な視点ではなく、自らを自らによって定義していくドラァグクイーンたちの振る舞いや、ゴールディンの写真家としての姿勢を象徴する。

 加えて、ナン・ゴールディンの作品について特筆すべき点は、セルフポートレートを含む自伝のような形式と、その写真が彼女の人生にとって切実な必要を伴って撮影されていることであろう。

 例えば、眼球から出血し、目の周りに赤黒いあざができているセルフポートレートは、依存と自立の境界にある彼女の姿を映し出している。ゴールディンは、当時のパートナーとの幸せだった時間から、振るわれた暴力とその後の痛ましい姿までを記録することで、依存的な関係性にあった元パートナーと復縁しないよう、傷ついた彼女自身の姿を印画紙と、自分の脳裏にも焼き付けたのだ。

 破天荒な日々を送っていたゴールディンだが、写真集『性的依存のバラード』(1986)の表紙にも採用されている写真のように、性行為のあとを思わせる光景やベッドに寝ている自分、誰かの膝にもたれている人、ドラッグを使用するための器具と思われるものが散乱する部屋で眠る人など、倦怠感や虚脱感なども特徴であろう。

『性的依存のバラード』(1986)の表紙

3. エイズ危機とナン・ゴールディン

 ゴールディンが、オピオイド危機に対する活動を始めたきっかけには、エイズ危機に対して抗議を行った運動団体「ACT UP」の影響がある。

 1980年代後半から90年代にかけては、ゴールディンの周囲をエイズ危機が襲い、《性的依存のバラード》に登場する人たちの多くが亡くなった。当時のレーガン政権が社会保障の受給に際して厳しい条件を設けていたことなどによって、エイズに罹患しても医療にアクセスできず、多くの人が犠牲になり、同時に、この疾患および同性愛者への偏見もまた苛烈になっていった。

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