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【今月の1冊】マンガから始まる感性のレッスン『マンガ視覚文化論 見る、聞く、語る』

『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から毎月、注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2017年6月号では、鈴木雅雄と中田健太郎による、マンガをテーマとした『マンガ視覚文化論 見る、聞く、語る』を取り上げた。

文=塚田優

鈴木雅雄、中田健太郎 編・著『マンガ視覚文化論 見る、聞く、語る』の表紙

 本書は、マンガという文学とも美術とも似て非なるその表現について、研究、批評分野を牽引する12人の執筆者が寄稿した論文集だ。マンガとモダニズム以降の美学について検討した実質的な前著『マンガを「見る」という体験ーフレーム、キャラクター、モダン・アート』(2014、水声社)での美術研究者たちの議論を引き継ぎながら、専門家による刺激的なレスポンスが収録されている。

 1章の冒頭には夏目房之介による論文が置かれ、コマや描線といったマンガ固有の形式に着目する表現論の変遷が要約される。そして終章の鈴木雅雄の論文では、様々な光学機器の発明によって、19世紀前半に私たちの視覚が再編成されたと主張するジョナサン・クレーリーを引用しながら、ポスターや絵本へと言及対象が拡大されていく。ここにおいてマンガ的な視覚経験はモダニティの徴候として定位され、その学際性は、各論文の相補的な解釈を促すだろう。このことは、本書が、計8回行われたワークショップでの発表をもとに加筆されたことにもその要因があるはずだ。また、伊藤剛が自身の著作『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(2005、NTT出版)で提唱した「フレームの不確定性」を、より精緻に理論化した「多段階フレーム」などの原理論も読みどころのひとつであり、各論の今後の展開には期待が高まる。

 しかしそうした側面以上に、マンガを通じて、我々人間の諸感覚そのものにアプローチしようとする姿勢にこそ、本論文集の価値がある。副題にもあるように、「見る」「聞く」「語る」といった私たちの基礎的な機能への関心は、表現論への批判も含む泉信行の認知学的着眼を筆頭として、フキダシ、あるいは内語と、イメージの融通無碍な関係性について分析した細馬宏通や、近年注目を集める聴覚文化論を援用して、手塚治虫の『新寶島』に新たな考察領域を切り拓いた宮本大人などに看取することができる。マンガというコンヴェンション(=約束事)を精査し、その経験に必要な条件が、大胆な仮説とともに次々と披露されていく様は極めてエキサイティングだ。

 マンガとはいったい何か。絵と言葉のあいだで絶えず揺れ続ける「多元的空間」(中田健太郎)に向き合うことは、私たちの感性と、知性の限界について問うことにほかならない。本書はそのことを、明晰かつ豊かに教えてくれる。

 (『美術手帖』2017年6月号「BOOK」より)