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ミヤギフトシ連載18:『FINAL FANTASY X』『FINAL FANTASY XV』 余地のある世界

アーティストのミヤギフトシによる連載。今回からは本にとどまらず、映画、音楽、ゲームなど、さらに幅広い作品をレビューしていく。第18回で取り上げるのは、ミヤギが映像作品や小説で引用してきたRPG『FINAL FANTASY X』(FF10)『FINAL FANTASY XV』(FF15)。少年時代から熱中してきたゲームの世界観、そしてキャラクターのあり方から、ミヤギが感じ取ったものとは(※『FF10』『FF15』やFFシリーズのネタバレを含みます)。

『FINAL FANTASY X』『FINAL FANTASY X-2』のパッケージ 撮影=ミヤギフトシ
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 子供の頃からRPGが大好きで、小学生の頃は『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(DQ3)に熱中していた。ドット絵で描かれる主人公や「ルイーダの酒場」でプレイヤーが選んでスカウトする3人の仲間含め、誰もセリフを発しないので個性はなく、シンプルな、セクシュアリティや恋愛の概念が希薄な世界に、様々な想像を重ねていた。そこには、想像を広げる余地があった。それから10代、自分のセクシュアリティについて考え悩むことが多くなり、RPGの空想世界に浸ることが増えたものの、PlayStation(PS)やPS2の時代になって、表現がリアルになり演出もドラマティックになってゆくなかで、ドット絵に想像を重ねていたような余地も少なくなっていった。

ミヤギフトシ《いなくなってしまった人たちのこと / The Dreams That Have Faded》(2016)より。FFシリーズについて言及、引用するシーンが含まれる

 男性主人公だけが物語を牽引するのではなく、なんらかの別離を乗り越えて成長してゆく女性キャラクターの強さも描くFFシリーズの世界は、そんな私にとって居心地がよかった(*1)。PS2ソフトとして2001年に発売された『FF10』の冒頭、高度な文明を持つザナルカンドの街に住む青年ティーダは、突如出現し街を破壊し尽くす巨大な球体に飲み込まれスピラと呼ばれる世界に迷い込む。スピラでは幾度となく超巨大なモンスター「シン」が現れて世界を破壊している。どうやらザナルカンドに現れたのは、いままさにスピラを破壊し続けているシン。スピラには召喚士と呼ばれる存在がいて、彼らはガード(仲間)を連れて各地の寺院をめぐり、眠る「祈り子」たちから召喚獣の力を得て、最終的に「究極召喚」というシンを倒すことができる秘技の会得を目指す。しかし、シンは倒してもまたやってくる。束の間の平和を人々は「ナギ節」と呼び、いつか永遠のナギ節が訪れることを願っている。元の世界に戻る手がかりを得るため、ティーダは打倒シンを目指す召喚士ユウナを守るガードの一員として旅をすることに決める。いまは亡きユウナの父親ブラスカは、かつて究極召喚によってシンを倒し、スピラに現在のナギ節をもたらした英雄として讃えられている。

《いなくなってしまった人たちのこと / The Dreams That Have Faded》より

 ティーダはスポーツ万能の金髪青年、言葉遣いも「〜ッス」などと軽い。こんな主人公に感情移入できるのか、と思っていた。明るいだけでなく、彼は幼い自分と母親を残して突然いなくなった父を憎んでいるという一面もある。そんなティーダも、旅をするうちにいくつかの事実を知る。究極召喚とは、旅を続けて絆を深めたガードのひとりを召喚獣として召喚させること。そうすれば召喚士もそのガードも死ぬこと。姿を消した父ジェクトもまたこの世界にかつて迷いこみ、ブラスカの究極召喚として命を落とした。シンを倒してもその核であるエボン=ジュが究極召喚に乗り移って新たなシンになる、つまりはいまスピラを襲っているシンがジェクトであること。そして、自分がいたザナルカンドは祈り子たちが夢見る世界で、スピラに実在するザナルカンドは遠い昔に滅びている。シンの核であるエボン=ジュを倒せば世界に平和が訪れる、でもそのとき祈り子たちは祈ることをやめ、夢の世界は消滅する。そこの住人であるティーダも消える。それでも、ティーダはエボン=ジュを倒す方法、ユウナが死なない方法を探そうとする。ユウナも、シンが再び現れることのない世界を目指す。

 ティーダが消えてしまう事実がわかる後半以降、私はユウナの視点でプレイしていた。意志は固いけれどどこか頼りない彼女が精神的な強さを手に入れ、生きて世界を守ろうとし、消えゆく運命にあるティーダの物語を見守っている。何も知らなかった青年が弱さを見せ(死にゆく父の前で彼は号泣する)、そして消えていく物語。彼女が彼にかける最後の言葉は、「ありがとう」だ。ラストシーン、平和を喜び集まった群衆にユウナが演説をし、こう締めくくる。「時々でいいから、いなくなってしまった人たちのこと、思い出してください」と。それはティーダだけでなく、シンとの戦いで命を落とし、もしくは社会のはずれに生き、物語の表舞台に現れることなく死んで言った人々へ向けた言葉でもあるはずだ。その言葉が、女性であるユウナの口から言われたことも、私にとってはとても意義深いことだった。

《いなくなってしまった人たちのこと / The Dreams That Have Faded》より

 最新作『FF15』の舞台となる星イオスは夜が長くなる病に侵されており、このままでは世界は闇に包まれてしまう。星の病を完治できるのは、光耀の指輪というルシス王家に伝わる指輪を持ち、六神の力を得た真の王のみ。また、神凪と呼ばれる者たちは六神と会話する力、そして病の進行を遅らせる力を持っている。ルシス王国王子である主人公ノクティスは、神凪の力を持つルナフレーナと婚姻のため王国を後にする。ノクティスとルナフレーナは幼馴染であったため結婚には前向きに見えるが、ルナフレーナの住むテネブラエはニフルハイム帝国にかつて侵攻され属州となっており、2国の停戦協定に基づく事実上の政略結婚だ。こうして、ノクティスは護衛役の同世代の男性3人(イグニス、グラディオラス、プロンプト)とともに、六神のもとを訪ねながら、結婚式が行われる予定のオルティシエへ旅をする。あ、男4人で旅ができるんだ、と私は子供の頃遊んでいた『DQ3』で仲間を選ぶ際に、兄弟や友達の視線を気にして男4人のパーティをつくれなかったことを思い出していた。

 そんな男4人の中でも、メガネの優等生然としたイグニスは皆の食事やノクティスの好きなお菓子をつくり、毎回車の運転をして、ノクティスの服の裁縫までする。穏やかな口調で、ノクティスが幼い頃から彼の見守り役を続けている。セクシュアリティについての明確な設定や性的指向を示唆する会話がない彼(*2)に、私は自然に感情移入していった。そんなイグニスも、巨大なリヴァイアサンの目覚めと同時に帝国軍の攻撃を受けて混乱するオルティシエで、ノクティスやルナフレーナを救おうと光耀の指輪を使ってしまう。メガネをとって髪も下ろした彼がヒーロー然として戦うのは嬉しい展開でありつつ、少し寂しくもあった。この作品において、男たちは指輪の力に頼ろうとする。王族にしか扱えない指輪を他者がはめると、拒絶されその体は焼き尽くされる。ゲームの発売に先駆けて発表された映画版『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』(野末武志監督、2016)では、ルナフレーナの兄である帝国軍将軍レイヴスが指輪をはめて片腕を失い、映画の主人公ニックスも指輪の力を使う。イグニスもまた、指輪を使ってしまったために顔にやけどを負い視力をほぼ失う。ノクティスをずっと見守ってきた彼が「見えなく」なってしまうという結果は、とらえ方によってはとても切ない。いっぽうでノクティスに届けるためずっと指輪を持っていたルナフレーナは、最後まで指輪に頼ろうとしない。

《いなくなってしまった人たちのこと / The Dreams That Have Faded》より

 結婚を控えたルナフレーナの旅の目的はノクティスらの先回りをして、六神を目覚めさせること。そして、停戦協定調印式の日に仕掛けられた帝国軍の奇襲によって命を落としたルシス王から預かった指輪をノクティスに届けること。その途上、彼女はその力で病に倒れた人々を癒してゆく。そうしてゆくことで、彼女自身の命が削られても。オルティシエに到着した時点で、彼女はかなり衰弱している。それでもリヴァイアサンを目覚めさせ、指輪をイグニスに託す。

 オルティシエでの戦闘の最中、ルナフレーナは帝国宰相アーデンに殺されてしまう。兄レイヴスは彼女を抱き起こし、涙を流しながら、愛する人のそばで微笑む幸せを知ってほしかった、と言う。そして付け加える、綺麗な花嫁になっただろう、と。結婚を示唆するセリフが言われたその瞬間、ルナフレーナの体は彼の腕からすり抜けるように消え、眼前の中空に浮く。そして、姿を消す。彼女は死んでもなおノクティスたちの前に何度か現れ、最終的に、六神たちを従え彼らを助ける。ラスト直前、アーデンのいるルシス城の封印をルナフレーナが解いた後、ノクティスは手を差し伸べる。ルナフレーナも同じように手を伸ばすが、触れる前に彼女は消える。そのような様子を見て、彼女が求めていたのは結婚ではなく、あくまでも星を救うことが第一目的だったのではないか、という思いを抱いた。「ただ大切な人の傍にいたい、それすら叶わないなんて」と生前レイヴスにこぼした彼女が結婚という枠組みを求めていたのか、私にはわからなかった(だからこそエンディング、すでに死んだはずのルシス王の「(息子を)どうかよろしく頼みます」というセリフで始まる、結婚式「のように見える」エンディングシーンは、家父長制度の中に死者を囲い直したようにも見えて不気味だ)。

『FF10』にもユウナと敵キャラであるシーモアの結婚が描かれるが、そこでも彼女の目的は結婚ではなく、偉大なる召喚士の娘とグアド族長であるシーモアの結婚というニュースで人々が少しでも明るい気分になれれば、と思ったことにある。ユウナが結婚を決めた時、彼女の姉的存在であるルールーが言う。旅を続けるなら、どちらでもいい。人はいろんな理由で結婚する。感情は必要ない。覚悟があれば、感情はなんとかなる。そして、こう付け加える。もしユウナが結婚するなら好きな相手としてほしい。でも、ユウナが好きな相手と結婚したいって言い出したら、私は反対する、と。ユウナに惹かれ始めているティーダは、よくわからない、矛盾している、と言う。

《いなくなってしまった人たちのこと / The Dreams That Have Faded》より

 一般的な異性愛のあり方や性のステレオタイプに則さないようにも見えるFFシリーズのそのような価値観(*3)は、DQシリーズとは対照的に映る。シリーズの集大成として発売された『ドラゴンクエスト11』には、仲間キャラにシルビアというゲイが登場する。彼は典型的な、少々時代遅れにも見えるオネエキャラだ。後半、家出した彼が父親を訪ねるという画期的なものになれたはずのシーンが用意されているが、オネエ言葉を話し女性的な仕草をする、騒がしい男性の一団を引き連れて帰るという茶化しが入ってしまう。『DQ3』好きとしては同作へとつながるエンディングは感動したし、ゲームとしても魅力的だったけれど、女性キャラが実際にビキニ姿になる「あぶない水着」というアイテムや「ぱふぱふ」というイベント(本作ではマルティナという女性キャラの特技にもなっている)を目にするたびに、少し疲れてしまう。そして、『DQ11』ではストレートで幸せな結婚も用意されている。

 クィアのキャラが出てくれば良いわけではなく、どれだけクィアの人々がそのキャラクターに思い入れを抱いたり、その世界に居場所を見出せるか……。例えば超能力者として社会から疎外されたり、そのことを家族にカムアウトするシーンもある映画『X-MEN』シリーズがクィアの若者たちの共感を呼んだように、私にとっては、シルビアよりもイグニスのような存在がずっとありがたかった。そもそも、RPGにおいて多くのキャラクターは自らのセクシュアリティを表明したり、それがわかるような行動はとらない。しかし私ですら、自動的に登場人物は皆ヘテロセクシュアルであろうという前提のもとにプレイしてしまっている。だからこそ、規範にすんなり収まらないFFシリーズのヒロインたちに私は勇気付けられたし、イグニスのような揺らぎを抱えたままのキャラクターにも安心感を覚えてきた。もちろん、ごく自然な形でRPGにクィアのキャラクターが登場すれば、それに越したことはない。そして、RPGのクィアキャラにエンパワーされる若者がいる、そんな未来もきっと近いはずだと信じたい(*4)。

《いなくなってしまった人たちのこと / The Dreams That Have Faded》より

脚注

*1──また、シリーズを通して、セフィロス、クジャ、シーモアなど性、というか種の概念を超越したような敵キャラクターも魅力的だった。彼らは家父長制度的な規範から弾かれ、社会から疎外された過去を持っている。

*2──グラディオラスは複数の女性と付き合いがあることが示唆され、プロンプトは彼らの移動手段である車・レガリアの修理をしてくれる女性メカニック・シドニーにずっと片思いをしている。

*3──結婚を描いたFFシリーズには他にもある。ファミコン時代の『FF4』では主人公とヒロインが王座の間で仲間に囲まれて式を挙げるという大円団で終わり、『FF15』のエンディングとは対照的だ。以降、同シリーズにおいて結婚は必ずしもハッピーエンドに終わらない。『FF12』では冒頭にナブラディア国王子のラスラとダルマスカ王女アーシェの結婚が描かれるが、ラスラはアルケイディア帝国との戦いですぐに命を落とす。ダルマスカも帝国領となってしまい、アーシェは身分を隠し反乱軍として活動する。エンディング、ダルマスカ王国を取り戻したアーシェが恋をしているように見えるのは身分違いの空賊。未プレイながら、『FF13』で婚約しているキャラクターの物語も不運なものだ。オンラインゲームである『FF14』で導入されたパートナーシップは結婚ではなくエターナルバンドと呼ばれている。

*4──キャラクターのひとりがバイセクシュアル女性という設定で、ごく自然なかたちでゲイのサブキャラが登場する『ウィッチャー3』のように、海外のRPGではそのような流れも生まれている。また、メタルギアシリーズやフロントミッションシリーズは未プレイながら、調べてみたかぎりで登場するクィアキャラに感情移入したり勇気づけられるかと言われると、私にはわからない。