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場所の力と「渡り合う」こととは。長谷川新が見たヒェウォン・クォン「Dark Matter」展

韓国の元大統領・朴正煕の地下シェルターを改築してつくられた展示施設「SeMA Bunker」で、ヒェウォン・クォンの個展「Dark Matter」が開かれた。この特殊な場所に存在する力学に対峙する本展を長谷川新が読み解く。

文=長谷川新

歴史ギャラリーの展示風景。朴正煕のために用意されたトイレ 撮影=長谷川新
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長谷川新 年間月評第12回 ヒェウォン・クォン「Dark Matter」展 〈内部〉について

 2005年、再開発の進むソウル市西部で謎の地下空間が「発見」された。広さ871平方メートルに及ぶその地下壕は、かつての大統領・朴正煕(パク・チョンヒ)のための極秘の地下シェルターであると推定される。猜疑心に駆られた独裁者が恐怖を抑え込むべく建設したその地下空間(実際、彼は1979年──シェルター建設の直後に側近によって暗殺される)は、昨年末からソウル市立美術館の別館「SeMA Bunker」として、すなわち民主的でパブリックな展示施設として無料公開されている。日本でも例えば国立新美術館は旧陸軍歩兵第三聯隊兵舎跡地にあり、別館にはいまも兵舎が一部保存され、二・二六事件での銃撃の痕がそのまま残っている。しかし、SeMA Bunkerで受ける印象は、そうした歴史保存の施設とは大きく異なっている。その差異(とそれにひもづくパブリックネス)について考えるには、韓国の歴史的背景について記さねばならない。朴正煕の死後の一時的な民主化の兆し、いわゆる「ソウルの春」はすぐさま封殺され、早くも翌1980年には全斗煥(チョン・ドゥファン)ら軍事政権の時代が始まっている(光州事件はまさにこのタイミングで起きた)。この軍事政権が崩壊し、大統領直接選挙制を軸とする民主化へと韓国が舵を切るのは、ソウルオリンピックを翌年に控えた87年のことであった。民主化への機運の最大時(6月民主抗争)には、国民によるデモの規模は100万人以上に及んだと言う。

企画展スペースの様子

 SeMA Bunkerは、大きく企画展スペースと、この地下壕についての歴史的資料を並べた歴史ギャラリーの2つに分かれており、前者がすっかりホワイトキューブへと改修されてしまっているのに対し、歴史ギャラリーは壁やトイレ、暖房器具などが発見時そのままに残されている。筆者は何気なく設置されていたヒョウ柄のソファに腰掛けたのだが、すぐさまそれが大統領が座るためのソファそのものであることに気付かされることとなった。大統領のためのソファに、来場者が自由に座ることができる状況。大統領が用をたすための便器を、一方的にまなざせる展示室。ここには、ルーヴル美術館誕生の瞬間──公衆が貴族の空間へと侵入した瞬間──と一見似た、しかし確実に異なるモチベーションが存している。

歴史ギャラリーの展示風景。朴正煕のために用意されたソファ

 本展の作家ヒェウォン・クォンは《Dark Matter》において、こうしたモチベーションと渡り合わねばならなかった。より正確には、このモチベーションが流入した、制度化=施設設計(インスティテューション)の領域に及ぶ力学──もっともプライベートな空間を「露出(エキシビット)」させ、ソウル市立美術館の一部に取り込んでしまうほどの民主化(オープンネス)──と渡り合う必要があった。本作において、クォンは丹念にリサーチをするそばから、その記録たる映像に過剰なノイズを混入させていき、決してそれら事実を「実在化」させない。この地下シェルターが建設されたまさに同時期に、その存在が単なる仮想モデルではなく「実在する」と主張され始めた暗黒物質(ダークマター)。写真や新聞記事、前述のトイレやソファなど、地下シェルターをめぐる「歴史的事実」が跳梁跋扈する空間のなかで、暗黒物質──人々の欲望と事実とが重ね合わされた物質──をどう現出させるか。本展示はその一点に賭けられている。

 
歴史ギャラリーの展示風景。発見された当時の様子が写真で展示されている。クォンの作品もここに展示されている