ヴァン クリーフ&アーペルの支援によって2012年に設立され、パリを拠点に香港や上海、ドバイに5つのキャンパスを構える「レコール ジュエリーと宝飾芸術の学校」。同校が東京・六本木の21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3において、ダニエル・ブラッシュ(1947〜2022)の作品を日本で初めて紹介する美術展「ダニエル・ブラッシュ展 ― モネをめぐる金工芸」をスタートさせた。
同展は、2017年〜18年にかけてレコール パリ本校からニューヨークに巡回した「Cuffs & Necks(カフス&ネックス)」展、そして23年に香港のレコール アジアパシフィックで開催された「DANIEL BRUSH AN EDIFYING JOURNEY(ダニエル・ブラッシュ 啓発の旅)」展に続くものだ。
「素材の詩人」とも称されるダニエル・ブラッシュは1947年オハイオ州クリーブランド生まれ。アーティストの母とビジネスマンの父の元に生まれたブラッシュは、奨学金を得てピッツバーグのカーネギー工科大学の美術学校に入学。学校卒業後はジョージタウン大学の教授となり、芸術哲学を教える。その後78年にアーティストとして作品の制作に集中するため、妻のオリヴィアとニューヨークに移住した。
金属加工職人であり、宝飾職人、哲学者、エンジニア、画家、そして彫刻家という多面的な才能を持つブラッシュ。本展はその多彩な創造性を紹介するもので、会場は大きく2つの章で構成されている。
エキシビションの第1章では、ジュエリーから芸術作品、オブジェまで、ダニエル・ブラッシュの幅広い作品に見られる、伝統的な芸術のカテゴリーを超えた多様な素材や表現方法が並ぶ。
まず会場で鑑賞者を迎えるのは巨大な絵画群だ。刷毛を使って一気に描いたように見えるこれらの作品。じつは線の一本一本、点の一つひとつがすべて緻密に描かれており、目を凝らせば凝らすほどに驚かされる。
タイトルにも注目してほしい。《赤い呼吸ー女性を主人公とした能楽の曲目のためのカントゥス〔詩編〕》に代表されるように、そこには日本からの影響が見て取れる。ダニエル・ブラッシュは13歳のときに母親から「山姥」をかたどった能面をもらい、そこから日本文化に強い関心を抱いてきたという。能楽にインスピレーションを得た絵画はまさに「視覚的な詩」であり、言葉を読むように構成されている点が面白い。
絵画制作と並行するように、ブラッシュは1970年代の早い時期からメタルワークをスタートさせ、90年代にはスチールの探求を開始した。ブラッシュが魅了されたのはエングレービング(線を彫ること)だという。スチールは硬く工業的な素材だが、ブラッシュの手にかかれば、そこには上述の絵画のような繊細さが宿る。なかでも会場に展示された《スチール ポピー》は傑作だ。スチールに彫られた無数の線、そして花びらの柔らかなフォルムがまばゆいばかりの光を放つ。
第2章では、65点もの連作《モネについて考える》がハイライトとなる。スチールを非常に細かな線で彫り進めることで、光や角度によって複雑な表情を見せるこのシリーズはブラッシュが手がけた最新の連作であり、本展が世界初公開だ。
フランスの印象派の画家たちによる、光を取り入れた色相に興味を持っていたというブラッシュ。興味深いのはブラッシュがモネの絵画そのものではなく、その絵画を撮ったカラーポジフィルムを光にかざしたとき、特有の光を見出したというエピソードだ。モネの名を冠した《モネについて考える》は「モネからインスピレーションを受けた」という単純なものではなく、モネの光の表現を研究し、理解し、自らの作品として落とし込んだもの。それはアートであり、彫刻であり、宝飾品でもある。
実際に手に取り、感じ、瞑想することが想定されたというこれらの作品について、本展公式図録にも寄稿するジュエリー史家のヴィヴィアン・ベッカーはこう語る。
「ひとつのインスタレーションとして感じてもらいたい。ダニエルが光と色を研究した結果、見出された作品だ。貴石などを使うジュエリーに対するチャレンジとも言える。彼の根底にあるのは『宝石とは何か』という問い。宝石をたんなる権力の象徴としてではなく、作家が生み出したアート=作品であるということを提示している」。
作品には回折格子の原理が応用されており、スチールに特定の角度で彫られた無数の線が、複雑な色相を生み出している。絵具や顔料では出せない色彩に魅了されることだろう。これらはモネの絵画のように、時間や光によつて、驚くほどの変化を見せる。
「驚きとともに、畏怖の念、そして神聖な考えを感じてほしい」。ベッカーがそう話すように、ゆっくりとした時間をかけて、見て、感じるべき傑作だ。小さなピースではあるが、そこには無限大の情報が込められている。時間を変えて、何度も足を運びたくなるだろう。