第94回:藤本伸樹「さらば対立軸、おいで融和の環」【2/2ページ】

表現者としての転機

 そして2021年、63歳の時に訪れたコロナ禍が、表現者としての大きな転機となった。感染拡大に伴って赤帽の仕事が停滞し、アパートで作業着を着たまま数日も電話を待ち続ける「待機時間」が発生したのだ。

 じつは藤本さんは、義務教育の美術ではいろいろと嫌な目に遭ったことから、中学卒業以来、専門教育はもとより仕事、趣味ともに一切制作活動をしてこなかった。「むしろ嫌いだったと言ってよい」と振り返るほど、アートとは無縁の半世紀を過ごしてきた。しかし、コロナ禍による空白の時間に気分が退嬰(たいえい)的になるのが嫌で、「仕方ないから絵でも描くか」と考え、2021年11月から創作を開始した。

 手元にあったケント紙、ボールペン、マーカーを手に取り、遊び事として一枚描いたところ、それがなぜか自分が思う以上の出来栄えだったという。これが半世紀ぶりの創作活動の再開であり、独自の技法が確立された瞬間だった。

 ちょうど同じ頃、富士宮市のギャラリーで個展を開いていた、同じく「超老芸術」のつくり手である本田照男さんとの出会いもあった。本田さんに才能を見出され、絵を描くことを強く勧められたこともあり、藤本さんは自らの衝動に確信を持ち、さらに深く制作へと没頭していくことになる。

藤本伸樹《PLANT-LifeCreator》(2023)
藤本伸樹《浄化、そして融和へ》(2023)

 現在でも油絵具やアクリル絵具の使い方は知らないという。画材の使い方を習熟するよりも、新しい着想に挑戦するほうがエキサイティングで面白いと感じているからだ。ボールペンやラインマーカーでは上手く混ぜて中間色をつくることができないため、必然的に点と線の干渉で色のニュアンスをつくることになる。「不自由を工夫で対処することがオリジナリティにつながる」という、独自の手法の発見だった。

 藤本さんの制作スタイルは、自らテーマをひねり出すのではなく、日々の出来事や会話、ネットの情報からふとテーマが訪れるのを待つ受動的なものだ。作者としてのエゴを消すため、自身の姓と「Freedom(自由)」の両意を込めた「アート工房F」という名称を使用している。

 2021年末からSNSで作品の発信を始めると、それを見た人々との縁がつながり、静岡県内をはじめ、八ヶ岳、岡山、宮崎など各地で作品が評価されるようになった。これまでの運転業務の経験を活かして、現在は軽自動車一台に作品を積み込み、自らの手で全国へと運ぶ日々だ。

「融和の環」

 還暦を過ぎて始まった創作活動は、いまでは作品を販売するまでに至り、その規模も次第に拡大しているが、藤本さんは「販売のために刻苦勉励をしたことはない」と言い切る。自らが面白いと思うことを重ねてきただけであり、かつてのパニック障害や経済的困窮、離婚といったすべての苦難も、現在は「必要な学びだった」と穏やかに受け入れている。

 現在の目標は、アートで経済的自由を確立しながら、活動範囲を広げていくことだという。しかし、年金生活だけでは活動の維持が難しいため、融資などを頼りに、原画や複製画が売れた際に入金していくという綱渡りの生活を続けながら、日々制作に励んでいる。

藤本伸樹さん

 藤本さんは自身の寄稿文のなかで、シニア世代に向けた「知の再武装」として、「さらば対立軸、おいで融和の環」というメッセージを提唱している。ビジネスの現場で、誰かを蹴落とすための対立軸や権威主義に疲弊しきった藤本さんだからこそ、人と人、人と自然が境界なく溶け合い、全肯定される世界が画面の上に立ち現れる。理論や権威ではなく、近づいてみたくなる大人が明るい姿勢で発信すること。それこそが、立場の違う人々を親和させるハードルを下げると訴える。

 既存の枠に迎合することなく、不自由さをユーモアと独立心の工夫で乗り越えていく藤本さんの「融和の環」は、僕たちが社会に向ける視線をも、少しずつ変えていくのかもしれない。

編集部