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櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:内なる世界のクロニクル

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第90回は、自閉症スペクトラムと診断された甲谷冬馬さんにとって、「内なる世界の記録」ともいえる創作行為に迫る。

文=櫛野展正

甲谷冬馬さん

 その絵画をみたときに、大きな衝撃を受けた。多くが鉛筆の濃淡のみを使った力強いタッチで描かれており、中世の城や終末を迎えた都市、そして巨大な怪物が支配する暗い世界観が広がっているように見えた。画面には、戦争機が飛び交い、敵の軍勢が地を埋め尽くしているものもある。その圧倒的な線の勢いから、何か心に闇を抱えているのではないかと作者の属性を心配してしまうほどだった。

 だが、僕の前に現れたスラリとした長身の作者は、絵を描きながら、とても嬉しそうな表情を浮かべていた。また、彼の作品には、驚いて目が飛び出たり、木に引っかかったりしている漫画風のキャラクターが登場しているのもどこかポップだ。よく見ると、『となりの山田くん』や『パンダコパンダ』など日本の70年代〜90年代のアニメを模したキャラクターも描かれている。これらの作品が下書きなどなく圧倒的なスピードで出来上がっていく様子を、僕は驚きをもってただ眺めるしかなかった。

 作者の名は、愛知県豊田市在住の甲谷冬馬(こうや・とうま)さん。彼の生い立ちと創作の背景をたどる。彼に会った際、聴覚過敏の特性を示すイヤーマフ、つまり騒音を遮断するためのヘッドホンのような器具を装着していた。このことから、彼が世界に対して物理的な困難を抱えていることがわかった。

 18歳の冬馬さんは、ニュージーランド人の父と日本人の母という2つのルーツを持ち、2007年にニュージーランド・オマラマで生まれた。英語名はToma Roberts(トーマ・ロバーツ)という。母の友味子さんは「小さい頃は、障害に気づかないくらい目も合うし走り回るし、木にも登るし、何の違和感もなかったんです」と述懐する。ところが、その認識が覆されたのは幼稚園の頃だった。先生から「皆と遊ばないでひとりでいる。発語もない」と指摘され、専門機関を紹介された。ニュージーランドの専門機関を受診した結果、下された診断は自閉症スペクトラムだった。友味子さんは「先生から指摘されてはじめて、『我が子に障害があるのではないか』と認識した」という。診断を受けてはじめて、聴覚過敏があり、甲高い声が苦手といった特性が自閉症スペクトラムにあてはまることに気づいたと打ち明ける。

 この自閉症スペクトラムの中核特性である、他者の意図や感情を理解することが難しい「心の理論」の問題に加え、彼が抱える聴覚過敏は、日常の様々な場面で彼に困難をもたらしている。例えば、どこかで誰かが喧嘩している音を聞くと、自分が怒られていると誤解してパニックに陥ってしまうといった症状が表れる。そのため、彼がもっとも多く発する言葉は「うるさい」だ。とくにスクールバスでの小さな子供のぐずる声は、冬馬さんにとって耐がたいほどの刺激であり、ときには思わず手が出そうになるほど苦しむこともあった。

 そんな彼に対し、母は「それは仕方ないねと『ごめんね、この世の中みんなで生きているから仕方ないよ』」と説明し、その場では「わかった」と言ってくれる。しかし、それは彼の内面の衝動を完全に制御できたことを意味しない。さらに冬馬さんは、父が話す英語と、母が話す日本語という2言語の狭間で育ったため、バイリンガル環境特有の言語習得の困難を抱えた。どちらの言語も中途半端になってしまい、結果として発語が遅れることになった。これについて、友味子さんは胸の内を話す。「夫は英語で私は日本語だから、発語が少なく、語彙力もとくにない。それが冬馬にとって申し訳なかった」。読んだりする力はあるものの、自分の欲求を発語できずイライラしてしまう。

 ニュージーランドの小学校を卒業後、行き場がないことに不安を抱いた母は、「日本ならば福祉サービスが豊かだなと知っていたので、『早いうちから日本に移住して日本の生活に慣れてしまった方が冬馬にとっては良いな』」と判断した。こうして冬馬さんが6歳の頃、母の実家がある愛知県豊田市へ一家で移住。ところが、言葉の困難を抱えたまま始まった日本での集団生活は、彼にとって閉塞感のある世界だったのかもしれない。

編集部