伊豆半島の付け根に位置し、箱根の山々と富士山を間近に仰ぐ静岡県田方郡函南町。この町に暮らす岩田大陸(いわた・りく)くんは、誰に見せるためでもなく、自室で黙々と自分だけの「生き物」たちをつくり続けてきた。方眼紙や爪楊枝、磁石、そして日用品などを道具や素材として組み合わせ、動物と機械が融合したような「半機械」の生態系を生み出している。これまで公募展や展覧会への出展歴は一切なく、作品は家族のなかだけで大切に保管されてきた。
大陸くんは、2007年に4人兄弟の長男として生まれた。幼少期の大陸くんは好奇心が旺盛で、じっとしていない子供だった。母親の千恵さんが当時の保育所での様子を振り返ると、彼は集団の輪に入ろうとせず、いつもひとりで好きなことに没頭していた。隅で静かに座っているのではなく、ひとりで動き回っているタイプだった。その姿に千恵さんは「落ち着きのない子だな」と違和感を覚えた。幼稚園の頃は「普通学級で大丈夫」という周囲の言葉を鵜呑みにしていたが、小学校に入ると状況は一変する。小学校1年生の初めての参観日前日、担任から電話がかかってきた。「大陸くんを見て驚かないでください。先に伝えておきます」。実際に教室へ行くと、彼は落ち着きのない様子で、10分と座っていられず、授業にも向き合うことができていなかった。「何かあるのかしら、まずいな」。千恵さんがそう思い始めた矢先、友人関係のトラブルも起きてしまう。
ちょっとした悪戯が過ぎたり、コミュニケーションが上手く取れなかったりすることで、次第に周囲と距離ができていった。8歳で療育手帳を取得し、自閉症スペクトラム症とADHDの診断を受け、小学校3年生からは特別支援学級へ入った。
中学校に入ると、大陸くんは周囲との違いをより鮮明に意識するようになる。自己肯定感は著しく低下し、自分を責めることが増えていった。朝になると「学校に行きたくない」と泣き出し、不安定な感情のコントロールに苦しむ日々。周囲は決してそう思っていないのに、激しい思い込みや勘違いから「自分は嫌われている」と袋小路に入り込み、「どうやったら死ねるかな」と漏らしたり、壁に頭を打ちつけて自傷に及んだりすることもあった。物事を0か100かで捉えてしまい、冗談も通じない。友達関係を築くことは難しく、千恵さんに「どんなことがあってもママにはわからないでしょ」と、孤独な胸の内をぶつけることもあった。
中学から高校へ入っても、その辛さは尾を引いている。高校2年生まで服薬を続け、思い詰めながらもなんとか登校はしていたが、精神的な負担から次第に痩せ細っていった。特に彼を苦しめたのは、感覚過敏に伴う「痛み」への極端な恐怖だった。高校2年生の頃、サッカーの最中に相手の肘が肋骨にぶつかった。普通の人ならやり過ごせるような衝撃であっても、感覚が過敏で「絶対に痛い」と思い込んでしまう彼にとっては、「このまま死んでしまうのではないか」という耐え難い恐怖に直結した。その不安を拭い去るために、3つもの病院を巡った。専門の医師に「大丈夫だ」と直接言ってもらうことでしか、彼は納得し、安心することができなかったのだ。
「自分に余裕がなくて、一時期は制作もやめていました。ストレスが限界突破して、何も気力がなくなって。痩せていく自分を見て『このまま死ぬんじゃないか』という負のスパイラルに陥っていました」。



























