何より興味深いのが、こんな壮大な建築を続けている饒波さんは、じつは目立つのが嫌いだという事実だ。「こういうのをやっていると必然的に目立っちゃうでしょ、それが嫌なんです」と人目を避けて、あえて車通りの激しい道路側を後回しにして作業をしてきたと言う話には、思わず笑ってしまった。なるほど、だから県道側は未だ住宅部分が丸見えになっているし、ようやく玄関部分に取り掛かっているわけだ。
命綱などなく、ボルダリングのように岩山に捕まり昇降を繰り返していく作業は、まさに命がけだ。それでも、饒波さんは途中で辞めようと思ったことは一度もない。庭だけではなく、家全体を覆うような建築を続け、しかも人生をかけて挑み続けている饒波さんの原動力とは一体なんなのだろうか。
「楽しくないとやらないですよ。何が楽しいかというと、今日より明日は良くなって完成形に近づいてる、それが楽しいわけ。石を拾いに行くことは辛いけど、積むことは楽しいわけ。人生そんなに長くないから、急がなきゃ。幸いボルタリングで体は自然と鍛えられているんだけど、体力がなくなってきたら今度は植物の管理ですね」。
饒波さんによると、制作を始めた当初は、近所から「積むな」と言われ批難されることも多かったそうだ。異質な存在に対して投げかけられる容赦ない排除の声も、饒波さんは35年以上続けることで打ち返してきた。まさにみんな感服してしまったのだ。
いまとなっては思い描いた通りに完成することはないし、途中で命が尽きてしまうかも知れない。完成したところで、社会的対価や名声を得られるわけではない。それでも、饒波さんが手を止めることはない。その姿は、まるでアルベール・カミュの『シーシュポスの神話』のようだ。終わりなく続く徒労、報われない努力という不条理を前にしたとき、「すべてよし」と言い切って何度でも岩を押し上げていく覚悟が、僕らにはあるだろうか。饒波さん宅の岩山から差し込む光は、効率や生産性ばかりを重視する社会をも照らし出しているのだ。