ミヤギフトシ連載04:柴崎友香の小説に見る、10年後と1年後

アーティストのミヤギフトシによるブックレビュー連載。第4回は、のちに映画化もされた柴崎友香のデビュー作『きょうのできごと』と、その10年後を描いた『きょうのできごと、十年後』です。小説の舞台となった京都、そして鴨川デルタを歩いたミヤギが、作家の想像力に迫ります。

下鴨東通にて 撮影=ミヤギフトシ
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柴崎友香『きょうのできごと』と『きょうのできごと、十年後』 繰り返しの周期 ミヤギフトシ

2016年1月末、トークイベントのゲストに呼ばれて京都に向かった。せっかくなので2泊することにして、トークのない初日は大阪まで足を延ばす。

大阪では名村造船旧大阪工場跡で「クロニクル、クロニクル!」展(CCOクリエイティブセンター大阪、1月25日〜2月21日)を見た。搬入期間も展示期間に含まれており、訪ねた日は搬入の最終日。展示は完成しているかのように見えるけど、数名が、照明の調整をしたり、作品の制作を続けている。オンになっていないモニターがあり(帰るときにはついていた)、照明が何もない床を照らしている。作品リストもまだなさそうだ。どこまでが完成なのか聞いてみたい気がするけど、このままの状況が心地よくもあり、作品を見て、外を眺め、壁に残されたマスキングテープの断片を凝視したりした。

造船所時代から残っているらしい壁かけの鏡に、ペインティング作品と、その向こうでオレンジ色に照らされた床が映り込む。それは、その日しか見ることができない風景だったのかもしれない。浜に打ち上げられた鯨のような生物を映す荒木悠の映像作品の脇には、造船所時代に何かしらの機能を担っていたはずの細長い穴がぽっかり空いていた。鯨の周りに人々が集まり、記念撮影をしている。窓の外を見ると、造船所と、海...だと思っていたけど、グーグルマップで調べたら木津川だった。その流れを辿れば淀川に合流し、そして鴨川まで行き着く。流れのままに行けば、海。鯨は動かない。展示は1年後、同時期に繰り返されるという。

鴨川沿いの公園 撮影=ミヤギフトシ
京都、四条大橋をのぞむ 撮影=ミヤギフトシ

京都で迎えた2日目は、朝から雨だった。宿を提供してくれた友人が教えてくれた近くのカフェで、制服の着こなしが完璧で物腰の柔らかいウェイターが持ってきてくれたモーニングを食べ(コーヒーを頼んだら、トーストと卵、ヨーグルトがついてきた)、美しい室内楽を聞きながら、柴崎友香の『きょうのできごと』(河出書房新社)を読み終えた。

『きょうのできごと』は、京都の一軒家で生活を始めた大学院生、正道の家に引っ越し祝いと称して集まって酒を飲み交わす若い男女の物語。中沢と真紀というカップルがいて、短気な彼女を大阪に置いたままパーティーにやってきた内気な、でも綺麗な顔をしたかわち、かわちに猛烈にアタックする中沢の幼馴染で真紀の親友でもあるけいと、女の子たちにまったく区別がされていないぼさっとした男ふたり、西山と坂本がいた。

酒の強い女の子ふたりは楽しそうに飲み、西山の髪を適当にカットしてめちゃくちゃにしたあと、深夜、中沢の車で眠りこけて大阪に帰ってゆく。コンビニ帰りに自転車で転んだ正道は、鴨川デルタの近くで仰向けになったまま携帯電話でパーティーに来なかった、大阪に住む彼女と会話する。この川が大阪までつながっている、ボートで行けば君の家まで行けるのだ、と彼は考える。

鴨川デルタ 撮影=ミヤギフトシ
サギとカラス 撮影=ミヤギフトシ

小説を読み終え、その日は夜のトークまで予定がないので、物語に登場した鴨川デルタに向かうことにした。雨脚が強くなる。寒い。肩にかけたデジタルカメラが濡れてゆく。ここってこんなに広かったっけ、とデルタにひとり立って見渡す。結局、寒さに耐えきれず、すぐに近くの喫茶店に駆け込んだ。ジャズがかかっていて、客は僕ひとり。外出は諦めて、『きょうのできごと、十年後』(河出書房新社)を読む。

京都でスペインバルを経営する中沢のもとに、真紀、けいと、かわち、正道、そして西山がふたたび集う。バルでは、開業5周年を祝うパーティーが開かれている。もちろん、みんなの関係性は変わっている。真紀と中沢は恋人同士ではなくなり、映画を撮るのだと豪語していた中沢は、その野望をほぼ諦めている。あんなにも惚れこんでいたかわちに、けいとはもうときめかない。中沢と正道は、「ぼく」じゃなくて「おれ」と言うようになった。あいかわらず「ぼく」のかわちだけ変わっていない感じがするけど、彼の名前が「河内」だったことを僕は初めて知る。

「さびしいね。そんなに簡単に、夢中になられへんね。もう」。けいとはかわちに言う。でも、それはきっと悪いことではない。

ねねの道にて 撮影=ミヤギフトシ

トークイベントの題は、「作家が本をつくること」。僕も、10年前からしばしば、作品をいわゆるジンと呼ばれる小冊子にしていた。書画カメラで10年前に作った手作りの写真集を見せながら、自分の作品はずいぶん変わったようにも、変わってないようにも思える。

僕が初めて個展をしたのが2006年なので、今年で作家を始めて10年目だ。ちょうど大学を卒業したくらいで、マミヤの中判カメラを抱えて写真を撮っていた。カメラはその後インスタレーション作品の一部に使ってしまい、もう手元にはない。今でもデジタルで写真は撮っているけれど、写真との付き合い方は変わったのかもしれない。特にフィルムに戻りたいとは思わないし、現状の制作環境に不満もない。ただときどき、なんとなく、懐かしいなと感じる。

トークの二次会を終え、宿である友人宅に向かう。ありあわせの酒と大阪土産のわらび餅を食べながら、おすすめだと言われた「高校生RAP選手権」をYouTubeで一緒に見だしたら止まらなくなり、しかし2時過ぎにはすっかり眠くなって、隣の部屋の布団に潜った。ふすまの向こうでは、まだ高校生によるちょっとかわいらしい、真摯なラップバトルが続いている。

前までは平気だったのに、夜更けまで飲み続けることも億劫になった。朝焼けの空を綺麗と思うよりも、帰って寝たい、が先行する。

タクシーの車窓から 撮影=ミヤギフトシ

『きょうのできごと』で夜明けの空を綺麗だと思い、これからくる今日にどこかワクワクしていたようだった正道。『きょうのできごと、十年後』で彼は、明け方に中沢のカフェに突っ込んできた車によって砕かれた窓ガラスの断片が朝日に輝くさまを眺めて、ぼんやりと冷静に、綺麗だなと考える。ほかの登場人物とちがい、10年間を大学院の研究に費やしてきた彼は、どう変わったのだろう。同じくらいの時間を美術に費やした僕は?

たとえば、10年後に同じ作品を展示したり、同じ展示をしたら、自分自身はどういう反応をするのだろう。それか、今、10年前の展示を再現したら。前日に見た展示のことを考えながら、そんな風に考える。1年後、また見に行きたいと思う。

夜、鴨川をのぞむ 撮影=ミヤギフトシ

『きょうのできごと』で、深夜の鴨川、正道が電話するシーンをまた思い出す。その川をうまく下っていけば、きっと昨日見た造船所まで辿り着くのだろう。そこには、打ち上げられた鯨。そういえば、行定勲監督の『きょうのできごと』映画版には、小説にはなかった、浜に打ち上げられた鯨をめぐるエピソードがある。鯨を見に(ロケハンだ、と中沢)、朝の海辺に集まった登場人物は言う:

けいと「鯨、みたかったな」 正道「そうやなあ。死んでしまったんやろか」 けいと「助かったんちゃうん」 正道「せやったらええけどなあ」 西山「そんなもん、誰か食うてもうたんちゃうん」 けいと「食ってへん」 西山「食うた」 けいと「食ってへん」 西山「唐揚げにされてん」映画『きょうのできごと』(行定勲監督、2003年)より引用

鯨のいなくなった浜辺で、海を目の前に、冗談を言い合いながら朝焼けを眺める若者たち。久しぶりに映画版を観ながら、造船所で打ち上げられた鯨の映像を見ていたことの意味について考えていた。1年後の展示で、鯨はどうなっているんだろう。

高台寺近く 撮影=ミヤギフトシ

PROFILE

みやぎ・ふとし 1981年沖縄県生まれ。XYZ collectiveディレクター。生まれ故郷である沖縄の政治的・社会的問題と、自身のセクシャリティーを交錯させながら、映像、写真などを組み合わせたインスタレーションによって詩的な物語を立ち上げるアートプロジェクト「American Boyfriend」を展開。「日産アートアワード2015」ではファイナリストに選出。現在、丸亀市現代美術館での「愛すべき世界」に参加している(2016年3月27日まで)。

http://fmiyagi.com