2018年、巣鴨のXYZcollectiveでグループ展「Closed Windows」を企画した際、乗代雄介さんに短編小説を書いてもらい、それを冊子にして会場で配布した。その頃の私は、『モーリス』を著し、ブルームズベリー・グループの一員でもあったE・M・フォースター、そして作家や美術史家として活動しながらスパイ活動を行っていたサマセット・モームやアントニー・ブラントに興味を持っており、彼らゆかりの場所(ついでにスパイつながりで『007 スカイフォール』の舞台となったスコットランドのグレンコーなど)をめぐったりしていた(*)。執筆を依頼する際、「見ること・見えないこと」「密室内での関係、そこから出ることのなかったメッセージ」などといった展覧会のキーワードを共有した。それは、その年に発表された、相手に読まれるかも定かではない手紙という形式で物語が進む「生き方の問題」(『最高の任務』収録、講談社、2020)をはじめとした乗代さんの作品群が描いてきた、「読まれること・読まれないこと」あるいは「残されたもの・残されなかったもの」の関係性にもつながるのではないか、と思ってのことだった。
短編は、デビュー作「十七八より」や「未熟な同感者」にも登場した阿佐美景子を主人公にしたもので、彼女が「ゆき江ちゃん」と呼ぶ叔母と石岡駅から閑居山へと歩いた一日、そしてその叔母の死後、ひとり同じ土地をめぐり直す景子の旅の物語だった。景子が叔母をどれだけ慕っていたかは、たびたび表明される敬意からも明らかだ。
叔母は私の知る限りで最も聡明かつ、いかにも興味深い真意の存在を絶えずちらつかせる憎き人物だったが、二五〇〇年前からの最も冴えたやり方を踏襲して、一切の証拠を残さず、今は草葉の陰でめくるめいているところだ。
乗代雄介「無題」(2018)
ふたりは石岡の駅を出て看板建築が点在する通りを抜け、恋瀬川沿いを歩き、閑居山へと向かう。その道中、田畑に囲まれた師付の田井という小さな史跡に立ち寄り、看板に記された高橋虫麻呂の歌を目にする。その史跡を後にしようとしたところで、景子が持っていた地図が風にさらわれてどこかに飛んでいってしまうが、彼女はそれを叔母に言い出せない。木々に覆われた閑居山の山道を登り、巨大な岩の表面に刻まれた百体磨崖仏にたどり着く。「円と楕円とをつなげたような仏らしい輪郭が風化に耐えながらびっしり並んでいる」その磨崖仏を見て、景子は「なんで彫るの」と呟く。それは、とても素朴な疑問のように聞こえる。叔母はすぐそばにあった奥行き15メートルほどの「金掘穴」に入り、景子を外に残したまま「きっかり四十分も」中にこもってしまう。景子は不安になりながらも意地を張って外で待ち、叔母の名を呼んだりもしない。磨崖仏を見て「なんで彫るのよ」と物言わぬ像に再度声をかける。
それから2年が経ち、叔母が死んだ後、景子はひとり閑居山を再訪する。前回は入らなかった金掘穴に入ると、その暗闇の中で足が何かを蹴る。拾い上げたそれは、彼女がなくしたと思っていた地図だった。叔母がうまいことキャッチしていたらしいその地図には、鉛筆でうっすらと閑居山から隣の権現山へと続くルートが書き足され、そのゴール地点にはバットとボールの絵が描かれている。
叔母が個人的にかいたものを見るのは、何の変哲もない落書きの絵だろうと何だろうと初めてで、私はそれだけで結構嬉しかったのだった。
乗代雄介「無題」(2018)
その地図に従って向かった権現山にあったのは、「大元帥陛下御統監聖蹟」と刻まれた石碑。かつて、昭和天皇が眼下で行われている軍事演習を見た場所らしい。その石碑が立つ岩の表面に、景子は近所の中高生の男子らしい誰かによる、バットとボールの落書きを見つける。
手もつかない中腰のままじっと覗きこんでいた私は、ますます日が傾いてそれが見えなくなってしまうまで微動だにしなかった。なんで彫るのよ──いっぱいの胸からようやく出た呆れ笑いの言葉は声にもならず、来たるべき暗闇の中へあらかじめ吸われてしまっているような、そんな気がした。
乗代雄介「無題」(2018)
2年越し三度目、同じ問いとともに物語は終わる。私はこの短編を読んで、「Closed Windows」展のDMを石岡から出すことにした。American Boyfriendのプロジェクトでつくってきた印刷物は、沖縄だったり和歌山の新宮だったり、その都度作品と密接な関わりを持つ場所の消印を押してもらうようにしてきたから。夏の夜、仕事を終えて電車で石岡に向かう。帰りの電車を調べてみると、滞在時間は30分ほどしかない。看板建築が点在する通りを少し歩いて、郵便局のポストに印刷物を投函して、東京へと戻った。それが、2018年晩夏のこと。
2019年の末、『群像』に乗代さんの中編「最高の任務」が掲載された。この作品も景子を主人公としており、大学の卒業式、そして式の後の家族旅行を描きながら、その合間に小学生の頃から叔母に勧められて描き続けてきた日記が差し込まれるかたちで物語は進む。読み進めて、「ひどく長」いと前置きされた日記に至ったところではっとする。その日記は、「Closed Windows」展で配布した物語だった。祖母が死んだ半年後に行った閑居山への旅は、景子が精神的にもっとも辛い時期、それによって救われた出来事だったと「最高の任務」では回想される。加えてその後、末期癌だとわかった叔母が景子のために閑居山に再び向かい、金掘穴に仕込んだ細工(地図)、そしてそこから叔母が持ち帰った希望も明らかになる。それは、叔母が姪を信じるからこそ起きたことで、姪のことを熟知していなければ起こりえない、いや、熟知していても通常は起こりえないようなことだ。叔母は姪もまた閑居山を再訪することを確信していた。
姪は、その任務を成し遂げた。そうして記されるのは「私はちゃんとゆき江ちゃんの希望だった」という、まっすぐすぎる言葉だ。「最高の任務」において景子を救ったのが閑居山へのひとり旅だったと語られるが、それでも短編で記されたその旅の最後、景子はすっかり参っているように思えた。景子はゆき江ちゃんとの旅を反復し、叔母が仕込んだ奇跡に救われている。時間を見つけて絶対石岡を再訪しよう、私は一読者としていささかひとりよがりな「任務」を自分に課した。
翌年早々、新型コロナウイルスの蔓延によってその任務を遂行することは困難となった。石岡のような近場に行くことすらできない、あるいは躊躇するような日々が続いた。それから2年近く経った2021年11月後半、私はようやく石岡を訪ねた。マスクを着用していること以外、それまでの日々が嘘のように穏やかな旅だった。息継ぎ、という言葉が頭に浮かぶ。
濃から淡へと落ちるように変化し風景に霞む空の下、通り沿いの看板建築は、数はそれほど多くはないが華やかだ。看板建築という言葉も、乗代さんの小説を読むまで知らなかったし、知らなければちょっと珍しい建物があるな、くらいで終わっていただろう。午後の日を受けて金色に光る木を見るたびに写真に撮ってしまう。やがて恋瀬川が目の前を横切り、その川沿いを歩く。右手、広がる畑の向こうに峰が2つ並んだ山が見え、後で調べて筑波山だと知った。1時間ほど歩いてかすみがうら市に入ったところで、そういえば高橋虫麻呂の歌が記された看板はこの辺りだろうかとGoogleマップを開くが史跡の名前を思い出せず、代わりにセイコーマートが近くにあるのを見つけた。北関東に展開していると聞いていたがここにあるとは。帰りに寄ろうと、すっかり史跡のことなど忘れてしまう。住宅や果樹園に囲まれた曲がりくねった道を進み、やたらと犬に吠えられながら集落の小道を抜けた先に閑居山への入り口があった。私のほかに人はいない。
ほの暗い山道を進んだ先に、百体磨崖仏を見つけた。急な斜面に突き出した巨大な岩の表面に素朴な仏の姿が並ぶ。いくつかは風化によって平坦な岩面に戻っている。木の根によって岩が突き破られた箇所もある。しかしその多くは仏の形を保ったまま静かに並んでいた。その近くにあった地蔵には頭がなく、説明書きによると明治時代、政府の廃仏毀釈政策によって破壊されたものらしい。坐像を首無しにできても、岩に彫られた磨崖仏を削ったり埋めたりするほどの手間はかけられなかったということか。なんで彫るのよ、という景子の言葉を思い出す。隣の権現山に行ってボールとバットの落書きがあるか確かめたいと思ったものの、閑居山を少し登っただけでばててしまい、セイコーマートでおにぎりを買って帰路についた。翌週、次は鹿島に向かう。『旅する練習』で語り手である小説家の「私」とサッカーに情熱を傾ける姪・亜美(あび)が目指した街だ。
「旅する練習」の初出は2020年10月発売の『群像』。この小説にも大いに心を動かされ、友人とその感動をZoomやLINEを通して共有していたので、その舞台も訪ねてみたいとずっと思っていた。亜美が中学受験にも無事受かり、小学校卒業を目前にしていたところ、新型コロナの蔓延防止対策として亜美の卒業式はおろか、サッカーの練習や試合、そして楽しみにしていた鹿島アントラーズのホームゲーム観戦もなしになってしまうところから物語は始まる。しょげかえる姪を見て「私」は提案する。利根川沿いを歩いて鹿島に向かう、亜美は堤防道をドリブルで歩き、時々休憩し「私」は風景を文章で描写、そのあいだ亜美はリフティングの練習。そうしてふたりは数日かけて鹿島を目指し、道中出会った就職を目前に控えるみどりさんも加わる。物語はその旅を回想する私の語り、ノートに記した風景描写、そして亜美の日記がひとつだけ挟まれるかたちで進んでゆく。ここでも、「最高の任務」と同じように「私」はかつて旅したルートをひとりでたどり直している。物語が進むうちに、3人旅の後に起こる悲劇の予感が漂い始める。
そして、本当に永らく自分を救い続けるのは、このような、迂闊な感動を内から律するような忍耐だと私は知りつつある。この忍耐は何だろう。その不思議を私はもっと思い知りたいし、その果てに心のふるえない人間が待望されているとしても、そうなることを今は望む。この旅の記憶に浮わついて手を止めようとする心の震えを静め、忍耐し、書かなければならない。後には文字が成果ではなく、灰のように残るだろう。
乗代雄介『旅する練習』(講談社、2021年)
亜美たちと同じように利根川沿いを数日かけて歩くのは流石に現実的ではなく、私は東京駅からバスで鹿島に向かった。住宅地の中にある鹿島神宮のバス停で降りる。石岡とは打って変わってどんよりとした曇り空だ。住宅や個人店の並ぶ静かな通りを進むと鬱蒼と茂った森が見えてきて、それがきっと鹿島神宮の敷地だろう。どこか閑居山の入り口を思わせる静けさだったが、案内に沿ってしばらく進むとそれなりに賑わう境内に入った。お参りをしてみたり鹿を眺めたりして、参道を歩いていると顔はめパネルを見つけた。『旅する練習』のなかで、私がいちばん好きな場面に登場するものだ。本当にあった。パネルの裏側に回る。
「あたしが塚原卜伝ね」亜美は下に用意された逆さのビールケースを足で寄せた。
「なんでもいいけど」とこぼしながらパネルの穴越しに見たみどりさんは楽しそうに笑っている。「二人もこれで撮れよ」
「こんな変なのでは撮らない」もう顔をはめた亜美の声がパネルの向こうから聞こえる。「ちゃんと撮ってよ」
亜美は私の肩に手を置いた。親しみからというよりもサッカー選手が試合前にする写真撮影のようで、私は中腰になっていたからなおさらだった。細い肩に手を置き返して前を向いた我々の様子は、パネルに隠れてみどりさんには見えないし、写真にも写っていない。横から誰かが見てくれていたら、その人がどこかで生きていることは私の大きな慰めになったと思うが、人は誰もいなかった。
乗代雄介『旅する練習』(講談社、2021年)
薄っぺらいパネルが倒れないように置かれた土嚢だか砂袋だかは少し前に降ったらしい雨に濡れたままで、それらに囲まれるように逆さのビールケースは確かにあった。黄色いキリンのケースと、メルツェンの見慣れない赤いケース。顔を入れる穴の上にはご丁寧に「男性(塚原卜伝)」「女性(真尋)」と書かれ、そこで肩を組んでいたふたりの姿が思い出されて、私はそのパネルの裏側を何枚も写真に撮った。ふたりは当たり前のようにそれぞれの穴を選んだ。写真が撮れたことに私は満足していたが、ここに掲載するのも野暮なような気がしてやめる(と言いつつ、嬉々としてInstagramにアップしたりしているのだけど)。「私」が願う誰かの記憶とはなんだろう。それは、「最高の任務」の「なんで彫るのよ」という呟きにも通じるような気がする。2021年末に刊行された、書評や短編などをまとめた『掠れうる星たちの実験』には、以下のように記されている。
柳田國男はいかに「残される」かの問題についてばっかり書いている。彼が一人で立ち上げたような民俗学も多くはその問題を扱う。それは人や物が歴史に残るとかいう時の「残る」ではなく、もっとなんか、みんなが死んだあいつの話をするみたいにして「残される」営みの様を言っている。
乗代雄介『掠れうる星たちの実験』(国書刊行会、2021年)
担当編集者がTwitterで秒速でいいねしたものが流れてきて、自分が小説に書いた場所を訪れている人を何人か見た。
誰かと同じものを見たいという気持ちは何か。その誰かが死んでしまっている場合もあることを考えると、それを目に見える耳に聞こえる形で共有したいという願望でもなさそうなのに、我々はそれを見て確かめたがる。
乗代雄介『掠れうる星たちの実験』(国書刊行会、2021年)
それを読んで、私がこうして写真を撮っているのはなぜだろう、と当たり前すぎる疑問に突き当たる。私は、物語を追体験しながら、何を得ようとしているのか。何を残そうとしているのか。残そうとしている……そんな都合良い迂回路を遮るような、記憶にまつわる文章を見つける。
どこでどう何を残すのかという意識や方法は、ますます空疎になっていくようにも見える。自分のために残す限り、人は腑抜けに大きく傾く。己の記憶を保管するものとして何気なく残すのは当人にとっては無論かけがえのないものだが、誰もが発信できる世の中になったんだからと嘯いてご立派な意識でやっているものの大半さえ、名所を訪ねてその写真を撮るのと大差ない未熟な意識と方法でできている。柳田の文を読み直すまでもなく、どこでどう何を残すかというのは一種の企みで、企みなく残されるものは当人の思うほど役に立たない。
乗代雄介『掠れうる星たちの実験』(国書刊行会、2021年)
参道を離れ、鹿島神宮駅に向かう。思った以上に小さな駅で、そこから鹿島サッカースタジアム駅まで行けるかと思ったら、スタジアム行きは試合が開催される日のみ運行されるらしい。後で読み直すと、『旅する練習』にもしっかりそう記されていた。Googleマップを開き、海に行ってみようと考える。鹿島に着いて、みどりさんと別れた「私」と亜美は海水浴場へと向かう。浜辺で亜美はいつものようにリフティングを始め、「私」も風景描写をする。そこで「私」は、姪の名前の由来となった──自身が姉に提案した──鳥を海に見つける。浜辺でリフティングに勤しむ亜美と海で獲物を狙おうと潜水と浮上を繰り返すアビの姿が連なる、あまりにも美しい場面だ。神宮周辺を離れてしばらくするとショッピングモールなどが並ぶ市街地に入り、緩やかな坂を下った向こう、巨大な風力発電機が見えてくる。もうすぐ海らしい。その風力発電機を見上げながら歩いた先の海水浴場は、堤防築造工事のため工事関係者以外立ち入り禁止となっていた。海へと抜ける別の道があるかもしれないと引き返し、海岸線と並行するように、背の高い木立に隔てられながら歩く。海が見たい、と思う。最後に海を見たのはいつだろう。
しかし、海に抜ける道はことごとく閉鎖されていた。ずいぶん大規模な工事らしい。風が強く、冷たい。これ以上歩いても海は見ることができなさそうだったので、駅に戻ることにする。すっかり疲れてしまって道中見かけたジョナサンに入り、ビールを頼む。帰りの電車の時間が迫っていたので電話でタクシーを手配すると、5分もかからないうちに運転手が親戚のおじさんのように店の中に入ってきて驚く。ジョナサンの駐車場を出ると、いまだ雲は広がっているが、空の低いところは晴れていて朱色が帯になっている。駅に着く頃にはさらに深い色になっていた。それを写真に撮れただけでも、鹿島に来てよかったと思う。
その日は佐原駅前のルートインに泊まり、翌日は利根川沿いを散歩した。思っていた以上に川沿いの風景は開けている。カラフルな上着を着込んだ人々が並んで釣り糸を垂らしている。その手前には枯草の上で猫たちが丸くなっていた。目に入るほとんどが茶色と灰色の風景なのに、私はドイツロマン主義の絵画を思い出す。描かれているのは北関東の風景なのに、乗代さんの作品を読んでいるといつもロマン主義の画家たちが描こうとしてきたものを連想してしまう。釣り人と猫たちは、ロマン主義というよりどちらかといえばブリューゲルの絵画に近いような気がするのに、目の前の風景の途方もなさはなんだろう。まだまだ、北関東を私は全然知らない、と思い知らされる。「最高の任務」で筑波山を眼前に歌を詠んだ高橋虫麻呂について景子が考えていたことを思い出す。
見えすぎる目によって美しく眩んだ世界を生きていたであろうことは想像に難くない下級役人の「憂い」が、孤独な登山を思い立たせ、冴え渡る青田でも豊かに実る稲穂でもない、すすきの花穂さえ散りこぼれる、湿地の沼に白波立つような強い風の、秋らしいというには余りにも寒々しい晩秋の風景の中、ひとときだけやむ。
現実を自由に処理する言葉で「われ」を隠す者に残る心情は、孤独な「憂い」のほかにないのかも知れない。この謎多い歌人はまんまと私のお気に入りとなった。見るものに何を見たかを書くばかりの孤独を思い知らせる詩人として。
乗代雄介「最高の任務」、『最高の任務』より(講談社、2020年)
見るものに何を見たかを書くばかり。書き、残すこととはなんだろう。ゆき江ちゃんは文章をひとつも残さなかった。景子は読まれないことを理解しながらもゆき江ちゃんに向けて日記を書いている。人々は碑をたて、後世の悪戯好きがそこに落書きを加える。
『旅する練習』の「私」は、感動を忍耐しながら文章を書き続けている。それでも物語の後半で深く感動するのはその忍耐がほころび始めるからで、徹底して「かいたもの」を残さなかったゆき江ちゃんの地図もまた、(もちろん企みのもと用意された)ほころびではないだろうか。「最高の任務」や『旅する練習』の舞台をめぐり写真を撮りためているのは、叔母が残した任務や「私」の忍耐に見え隠れする、そんなほころびの向こう側を見たいのかもしれない。顔はめパネルの後ろで肩を組む「私」と亜美を目撃する誰かのように。その存在の可能性だけで、想像の風景が広がるような気がする。そこに記された何かを探すように、顔はめパネルの裏側にレンズを向けて、ちりちりとシャッターをきる。それは、ブラントやモームといったヘテロセクシュアルではなかったとされる元スパイたちがあんな時代に発信していた、暗号めいたほころびに近いのではないか。その先にある偶然、あるいは偶然を装った伝言を私は、つい探してしまう。そんなもの、きっとないほうがいいのだろうけれど。