私の孤独はあなたの孤独を知る(*1)
「そして死ぬのはいつも他人(D’ailleurs, c’est toujours les autres qui meurent)」とはマルセル・デュシャンの有名な墓碑銘であるが、なるほど、我々が絶対的に自分ひとりで知るほかないもの、原理的に代理不能でひとりで経験するしかないもの、それが「死」であろう。人は己が死ぬ、そのときだけ死を経験する。この「自分ひとりだけ」という性質は、死がそうであるように、ひとつの存在の条件に関わっていて、その存在の自我や自意識、つまり「アイデンティティ」とは基本的に関係しない。デュシャンの言葉の要は、死ぬときはこの世でひとりなのだから、アイデンティティという概念自体が意味を持たないということだ。
自分ひとりで経験する以外には知りえないというこの条件は、死に限らない。スポーツ競技や車の運転、楽器の演奏は、いくら情報、助言、理論……を学んだところで、結局は、自分ひとりで体得してこそできるようになるものであって、学習情報と能力のあいだの距離が近ければそれは才能と呼ばれ、遠ければ運痴・音痴と呼ばれる。運痴も音痴も「ひとりきり」という条件ゆえに孤独であり、「そして~〜するのはいつも他人」という厳かな事実の前に、救済の道は絶たれている。
外国語の運用(会話と作文)もまた、ひとりで行うしかない行動のひとつである。文法や発音をどれほど学んでも、ネイティヴスピーカーなら犯さない誤りを根絶することはできず、その「誤り」には客観性がない場合も少なくない。1990年代頃より、世界中で外国語教授法(国語学でも言語学でもなく)「外国語としての〜〜語(EFL、ESL、DaFなど、*2)」という新しい学問分野が現れ始めた。当初は、教授法で博士号を取ったなどと聞けば、「チイチイパッパ(*3)の研究のどこが学問だよ」などと陰口を叩く者もいた。結局は一人ひとりが持続的な学習プロセスのなかで、いつの間にか身につける能力であるから、そこには学問的客観性が最初からありえないではないか、と。
他方で、初級の教科書ひとつ手にとって見てみれば、当該の外国における「普通」で「自然」な言葉の教育は、言葉の壁以前に、まさにその教科書が書かれた時代のジェンダー、家族・結婚観、文化的・人種的偏見、階級格差……等々、様々な社会的・心理的・経済的障壁を反復している。孤独が条件である経験の場所へ救済の橋を架けようとするこの学問は、30年を経たいまでは陰口を駆逐してしまった。
さて、ファッションもまた、自分で実際に経験しなければ、言い換えれば、自分で買って着てみなければ始まらない世界である(*4)。そしてとうの昔から周知のように、そこもまた、ジェンダー、文化的・人種的偏見、階級格差……等々、様々な社会的・心理的・経済的関心が作用し合う磁場である。ファッション・スタディーズも学問として確立されるであろう。が、未だフィルム・スタディーズに迫らんとしてかなわず、まして美術史研究の域には届いていない。その原因は2つある。
1つは、冒頭から述べてきた条件のせいである。買って着なければ始まらないという条件は、配信でいくらでも見られる映画や、買わずとも鑑賞できるアートにはない(*5)。そして2つ目は、研究対象がきわめて一部の消費者の嗜好品に限られるからである。現在のファッション界の構図とは、紳士服と婦人服、保守と前衛、好きな服と似合う服の乖離、顔と身体の美醜、買える者の見栄と買えない者の嫉妬……のあいだで右往左往する、すなわちファッションを熱愛する一部の消費者を、すでに衣服はファストファッション(美醜ではなく「黄金の中庸」を売る)という制服に決めてしまった=ファッションから降りた、大多数の消費者が、冷やかに傍観している、というものであろう。ちなみに、コム デ ギャルソンとヨウジヤマモトによる、通称「黒の衝撃」のパリコレクションが1982年、そこに始まるブランド熱を裏打ちするかたちで興ったユニクロが広島から全国へ展開したのが91年、つまり、ここ30年間のファッション界はブランドとファストファッションの両輪(小さな車輪と大きな車輪)体制であり、すなわち格差社会の縮図をなしている。

本展が、過去50年(1978年京都服飾文化研究財団設立、97年神戸ファッション美術館開館)にさかのぼる、持続的なファッション研究の延長線上にあることは言うまでもないが、21世紀のファッション・スタディーズは、より現代アートに接近した問題設定に沿って研究と展示を行っているように見える。ファッションはアートと等しく「美」(あるいは「生の実感」「自由」……なんと呼ぶにせよ)に関わる芸術であるが、一人ひとりがそれを買って着てみて初めて始まる世界である点で、アートとは本質を異にする。しかし、例えば本展の「私を着がえるとき」という主語を欠いた副題は、ファッションにおける「私」が自我や自意識の私ではないことの示唆と読めるいっぽうで、その英訳は「In Search of Myself」。これでは、ファッションがたんなる自分探しになってしまう。往々にして、美術館を舞台としたファッション展では、ファッションという芸術の特異性が曖昧にしか自覚されていないので、ファッションの力が強ければアート作品がただのこじつけに堕し、アート作品が強ければまさしく「just a fashion」に終わる。本展は、典型的に前者であった。


例えば展覧会の第1章「自然にかえりたい」は、自然素材、とくに毛皮への偏愛に注目し、そこへ小谷元彦による女性の毛髪で編まれたドレスが添えられるが、裸にされた女性が纏う最後の衣(=長い髪の毛)で文字通り衣を編んだ作品は、男性の(かなり昭和な)性的幻想の産物でこそあれ、少なくとも「自然にかえる」ものではなかろう。第3章「ありのままでいたい」では「下着ファッション」がメインなのだが、下着姿でいることが「ありのまま」だとは。ありのまま→心と身体が楽な服→Tシャツにパンツ→もともと下着だったファッションということだろうが、ミニマルなファッションに追加されるヘルムート・ラングによるカットアウトの様々なパーツは、むしろ「ありのまま」を変容させる部品であるし、ヴォルフガング・ティルマンスによる《Kyoto Installation 1988-1999》(2000)は、「ありのまま」とは程遠い人工的な展示技法であり、念入りに構成された個々の写真も「ありのまま」の日常スナップではない。


展示風景。「我を忘れて別の人やものになりたい」という願望によりそう非日常的な服を中心に展示された
それでも全体としては、川久保玲、ジョン・ガリアーノ、ジュンヤ・ワタナベ、アレキサンダー・マックイーン、ラフ・シモンズ…… といったクリエイターたちの峻厳とも言える独創性、見やすく美しい展示と、よく揃えられた衣服のすばらしさが、企画者の情熱を雄弁に語っており、長く忘れていたファッションへの愛が蘇える感動があった。そういえばもうひとつ、ひとりでなければできない経験があったではないか。展覧会のタイトル、LOVE。

展示風景。「我を忘れて別の人やものになりたい」という願望によりそう非日常的な服を中心に展示された
*1──ジャン・ジュネ「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」(1963)の最後の文句。“[...] ma solitude connaît la vôtre.”
*2──それぞれ、English as a Foreign Language, English as a Second Language, Deutsch als Fremdsprache.
*3──童謡「すずめの学校」の歌詞。雀の親鳥が、雛鳥に鳴き方と飛び方を教えている様子。チイチイは鳴き声。パッパは羽ばたきの擬音。雀の学校の音楽と体育だ、と。
*4──小林秀雄の「真贋」「骨董」にも通じるだろう。
*5──したがって、アートと購入が分かちがたく結びついている「コレクター」という人種は、ファッションの世界に通じている。
(『美術手帖』2025年1月号、「REVIEW」より)