プレイバック!美術手帖
1972年10月号
特集「誌面開放計画」

『美術手帖』創刊70周年を記念して始まった連載「プレイバック!美術手帖」。美術家の原田裕規がバックナンバーから特集をピックアップし、現代のアートシーンと照らし合わせながら論じる。今回は1972年10月号の特集「誌面開放計画」を紹介。

文=原田裕規

「無編集」の試みから考える、表現の開放とは何か?

 戦後日本美術の生き証人のような存在である『美術手帖』は、時代の移り変わりを反映するように、これまでに幾度となくその方向性を刷新してきた。福住治夫が編集長を務めた70年代前半は、その長い歴史のなかでもとりわけ前衛的な方向性が打ち出された時期にあたる。

  特集「誌面開放計画」は、そのなかでもよく知られた特集のひとつだ。54名の作家に各人見開きページが与えられ、無審査=無編集の方針による、さながら「誌上の読売アンデパンダン展」とでも言うべき活況が示されている。編集部名義のテキストによると、本特集は「作家自身による誌面の作品化」で、「メディアの特性を十分に生かしたコミュニケーションの試み」であるとのこと。なるほど、松澤宥や高松次郎の見開きに顕著なように、誌面自体が作家の表現の最前線として成り立っている例も少なくない。

 この「無審査・無編集」という編集方針は、特集のみにとどまらず、誌面全体にも広がっている。「今月の焦点」では、峯村敏明の美術批評論や、村岡三郎らによるハプニングのセルフレビューが、隔月連載では東野芳明による25ページにも及ぶデュシャン論が、「図版構成」ではTHE PLAYによる《現代美術の流れ》などの「ハプニングの誌面化」が、極め付けは「読者から」欄の投稿文で「富永惣一、黒川紀章、福沢一郎、白川義員など、そしてシコシコ壁かけ用の絵を描いているすべての文化人、芸術家」などと名指しのうえで、「それらをつくっている文化、芸術に、われわれはツバをはきかけ、立ち小便をするのである」「全国にちらばる同志諸君、日本支配者階級のいうところの「文化」と、それらをつくりあげている 人間に、ツバをかけ、立ち小便をたれ、あの三里塚で使われたクソ袋を投げろ‼︎ 徹底的に日本支配者階級の文化を破壊せよ!」といった投げ掛けが「無審査」にそのまま掲載されているのだ。

 いま改めて振り返ると、雑誌がこのように熱い「現場」たりえた時代はそう長くはなかった。そのため、それを懐かしみ、雑誌にそうしたありようを求める声はいまだに聞こえてくる。しかし、いま本当に 考えるべきは、ある場所(例えば、誌面や展覧会)を無条件に「開く」ことではない。何が本当にその場を「開放」することになるのかを、もっともシビアに考えることである。あらゆる情報が開かれ、高度に相互監視化した現代の情報社会において、いかに場を「閉じる」のかを考えることは、美術にとっても無縁な話ではない。時に場を「開き」、時に場を「閉じ」ながら、本当の意味で表現の場を「開放」することとはなんなのか? 本特集の試みを通じて、改めてその意味を問い直してほしい。

『美術手帖』2020年2月号より)