震災以後、「アーティスト像」はどう変わったか?
これまで『美術手帖』では、2005年から11年にかけて、4度にわたり「アーティストになる基礎知識」と題する特集が組まれてきた。また「芸術家になりたい!」(1995年4月号)や「職業は『アーティスト』」(2007年2月号)といった類似の特集もあり、それらはおおむね若い読者を想定した入門的な内容になっている。
かくいう筆者も、高校1年生のときに05年2月号の「基礎知識」特集を手に取り、「アーティストとはこのように生きるのか」と、影響を受けたことがあった。しかし11年10月に同名の特集が組まれたとき、つまり東日本大震災以降には、時代が求める「アーティスト」のあり方はすでに大きく変化しており、またその定義の難しさゆえか、11年を最後に今日にいたるまで『美術手帖』本誌で「基礎知識」特集は組まれていない。
この2つの号の間に起きた時代の変容とは何か。それを探るためにバックナンバーを振り返ってみよう。まず05年の号では、インディペンデント・キュレーターの東谷隆司が企画・監修に加わり、奈良美智や会田誠へのインタビューのほか、ポートフォリオのつくり方やギャラリーへの売り込み方など、極めて実践的な「基礎知識」が紹介されていた。「ポートフォリオ」や「プレゼンテーション」という言葉がさかんに繰り返されているのもこの号の特徴で、この時代のコマーシャルギャラリーの存在感の大きさも浮かび上がってくる。
それに対して11年の号では、カイカイキキの若手養成スタジオ「ちゃんば」への密着取材のほか、田中功起や三瀬夏之介らへのインタビュー、スタジオの運営方法、レジデンスの紹介、アーティストビザの取得方法など、複雑かつ(いわば)「応用知識」の比重が増している。
この変化は、ギャラリーへの所属が若手にとっての「上がり」であるとされた時代から、自律的で複合的な活動を模索することがアーティストに求められるようになっていった時代の変化を表している。また、その中心に「アートバブルの崩壊」と「震災」という出来事が横たわっていることは、ことさら強調するまでもないだろう。
では、もしいまこれと同じ企画を立てうるとするならば、それはどのようなものになるだろうか? おそらく、そこで予想される内容は十人十色になり、それを考えること自体がある種のオリジナリティを帯びた行為になるのではないだろうか。つまり震災以後のアーティストにとっての「基礎知識」とは、第一に自ら模索し発見するものであり、第二にそれを定義すること自体がその人の制作と切っても切り離せなくなるような何かなのである。
(『美術手帖』2019年8月号より)