プレイバック!美術手帖 
1982年6月号
特集「現代のドゥローイング・アーティスト」

『美術手帖』創刊70周年を記念して始まった連載「プレイバック!美術手帖」。美術家の原田裕規がバックナンバーから特集をピックアップし、現代のアートシーンと照らし合わせながら論じる。今回は1982年6月号から、特集「現代のドゥローイング・アーティスト」を紹介。

文=原田裕規

特集「現代のドゥローイング・アーティスト」より、湯村輝彦・タラの作品ページ

80年代イラストレーションが築いた「アート」の領域

 「1980年代」と聞いて思い浮かべる言葉をラフに広げてみる。サブカルチャー、ポストモダン、ニューアカ、バブル……。それらからおしなべて感じられる語感の「軽さ」は、同じ時代に広く用いられるようになった「アート」という言葉にも共通している。1985年のプラザ合意に端を発するバブル経済が始まる前夜、82年の日本。この特集が組まれた時代は、端的に言って「広告的」な社会だった。

 「おいしい生活。」──この年に考案された西武百貨店のコピーである。この言葉はしばしば、80年代を代表する金言のように語られてきた。消費行動をうながす広告=言語が、時代を映し出す鏡であるかのように扱われること。それと似た事態は、やはり広告の現場で使われてきた「図版」という言葉が、いつしか「イラストレーション」と呼ばれるようになったのに伴い、「アート」と肩を並べる「作品」の地位(=鑑賞の場)を獲得していったことにも見て取れる。そしてこの特集は、そうした移り変わりを体現しているのである。

 何よりもユニークなのは、そのタイトルだ。普通に考えれば「現代のイラストレーター」とでもなりそうなところが、「現代のドゥローイング・アーティスト」と名付けられている。なぜだろうか。まず考えられる理由としては、当時低く見積もられていたイラストレーターの地位を引き上げることにあったのではないかと思われるかもしれない。しかしその背景には、中ザワヒデキが「反イラスト」と呼ぶ、「イラストレーション」が内側から瓦解してしまうような動きが起こっていたことを考慮しなくてはならない(その中心には、本特集でも取り上げられる湯村輝彦などがいた)。そのためだろうか、大竹伸朗を筆頭に、むしろイラストレーター ですらない 、、、、、人々の名前も特集の中に散りばめられていることに気が付く。

 その本当のもくろみは、もはや「イラストレーション」という腑分けも「美術」という腑分けも意味を成さない、「アート」というまっさらな 遊戯場 グラウンドを築き上げることにあったのではないだろうか。それは「広告」を作品にすることと等しく、作品を「広告」にすることとも等しい。例えば、雑誌における広告は、ある記事(作品)とある記事(作品)のあいだに挟み込まれる間隙のようなものである。それは生まれ持った性質として、反作品的なふるまいをしてしまう。つまり「反芸術」の血を引くものだ。そのような「広告=アート」が、それまでの「美術」を脅かし、交代劇を仕掛けつつある現場。それが、この特集がサブタイトルで掲げる「イラストレーションの最前線」なのである。

『美術手帖』2019年6月号より)