以上の4種類の楽器は、一見しただけでは、どのように演奏する楽器なのか、どのような音楽が奏でられるのか、まったくもって不明である。それは、オープニングのパフォーマンスで足立が話していたように、これらの楽器が「AIがAIのために」つくったものであるということによる。それゆえに、人間は人工知能には理解できている(かもしれない)その意図を読み解き、演奏方法を推察して導き出さなければならない。
つまり、楽器とともに展示されている足立による演奏の映像は、本人による解釈としてのリアライゼーションということになる。足立が「何らかの音が鳴る楽器として実現させることに苦心した」と言うように、これらの楽器制作もまた、AIのイマジネーションをどのように実現するのかというリアライゼーションの問題だと言えるだろう。人工知能が生み出した「古い未来の楽器」は、イメージ段階のまま、まだ実現されていないものも展示されていた。そこに描かれていたのは、今回展示された楽器よりもややスケールの大きいもので、さすがに実現が難しかったのか、実作はまだされていないようだった(今後の展示に期待)。
今回楽器とともに展示されていた、3次元文字のレリーフ作品《3D printed text》は、楽器同様に人工知能によって制作されたものである。文字が3Dになることでどのような情報が伝達可能になるのかを試行したものだという。これまでの情報伝達の歴史を学習した人工知能が予測する、未来の文字情報の形を提示したということだろう。現在の私たちには判読不可能だが、未来の人間は、それをコミュニケーションの手段としてどのように使っていることだろうか。

Photo by Keizo Kioku, Courtesy of MISA SHIN GALLERY
その意味で、今回の足立のアプローチは、メディア考古学的な楽器の進化のオルタナティヴな歴史の提示とは、やや異なると考えられる。それは、人工知能には、現在までの楽器の進化の歴史のなかに、私たち人間が取りこぼしてしまっている可能性が発見できているのかもしれないという仮説から出発している。足立の意図は、そうした人間が気づいていない可能性に向けて人間の能力をアップデートさせ、それらの楽器を演奏可能な身体を持つことで、人間の思考の範囲内だけでは不可能だったかもしれない「人間の進化」を考えることにあるのだろう。
私たちがつねに外在化され、拡張された身体によって自身の能力を変化させてきたように(それが退化ととらえられることも含めて)、人工知能という私たちの思考の外部から私たちの進化の可能性を考えさせるものでもあるだろう。



















