骨と磁器
「現代美術」としての陶芸
本欄で最初に川端健太郎を取り上げたのは、2013年の秋であった。それから8年、陶芸はますます現代美術界の一部となり、日本の1960〜70年代の現代美術が今更ながらグローバルな現代美術史へ登記される傾向につられるように、過去の「現代陶芸」の再発見・再評価が始まっている(例えば三島喜美代)。この状況の背景には、リーマンショック(2008)以降、投資筋や富裕層の金が、株や不動産よりも信頼できる資産を求めて、現代美術(と古美術)の世界に流入してきたことがある。その結果、近年の現代美術界は一種のバブル状態にあるわけだが、投資家は資産のプロフィールのひとつとしてアートを買うから、値下がりしない巨匠(生死不問)の作品が欲しい、と。が、そんな巨匠も作品も数が限られるので、次には美術史や陶芸史を繙き、数十年の経歴に相応しい値段が付いていない長命作家を探して投資対象とし、それでもまだ流れ込む金に対して売るモノが足りないと、比較的有名な中堅や期待の新人に順番が回る。「物」が足りなくなると絵画が流行るのが美術界の常だが、現在では、より物々しい芸術として陶芸が流行る。こうして桑田卓郎や安永正臣、そして川端もまた、内外の有名ギャラリーで発表し、値段が急上昇して旧来の陶芸画廊と国内コレクターは置き去りにされる、と。無論そこにはバブル経済に固有の危うさがあるが、個性際立つ日本の陶芸作家が、活動の舞台を世界へ広げて何が悪い。
とはいえ、戦前・戦後の日本現代美術を複数のモダニズムのひとつとして歴史化する傾向とは異なり、その受容=需要は、戦前のモダニズム(民藝運動、桃山陶再興、李朝ブーム)と戦後の現代美術(イサム・ノグチ、カルロ・ザウリ、パブロ・ピカソ、ジョアン・ミロなど)からの影響(オブジェ焼き)を理解したうえのものではない。たんに見た目に判りやすいもの──オブジェとして分類できるもの──だけが、見知った現代美術の陶芸バージョンとして俄に脚光を浴びている。だから、シルクスクリーン・プリントによる陶芸に光が当たっても、それを最初に発表した荒木高子にまでは届かない。八木一夫や加守田章二や鯉江良二が現代美術界で受容されるには、まだ時間がかかるだろう。
それは、彼らの作品が、「器」を手放していないからである。そして、工芸に対する差別・区別(ファインアートvsクラフト)が根強いために、その二元論を超えた表現(例えばアーツ・アンド・クラフツ)に対する言葉を、批評は未だに見出せていないのだ。オブジェ(自己表現〜芸術)と器(生活〜工芸)を焼き分けている(ように見える)作家はいわば二枚舌であって、アーティストとして信頼できない、と。しかしそれでは八木のオブジェすら理解できないだろう。彫刻やオブジェを陶芸という手段でつくるだけなら、ピカソのように職人に発注すればよい話である。だがオブジェ焼きとは、自分で自分に発注する代わりに、新しい陶芸をオブジェや彫刻という手段でつくることだった。陶芸は手段ではなくて、目的である。あるいはまた、出来損ないの李朝白磁碗を究極の茶碗に見立てた侘数奇の茶人のように、男性用小便器を横にして「泉」と題を付けたデュシャンのように、すべての器/オブジェをオブジェ/器に見立てることであった。
多くの「現代」陶芸家は、その作品から工芸の影を消すために、轆轤を使わず手びねりで成形する(川端も例外ではないが、後述の綴化(てっか)の原理と轆轤は相容れない)。それを意識して、八木の有名な《ザムザ氏の散歩》(1954)は、あえて轆轤で成形し、伊羅保釉をかけた器を輪切りにし、その輪のひとつに、立って転がるように管状の足を付けたものである。器の陶芸を形成してきた様々な条件や技術を変換して(轆轤の水平回転を、縦回転の「散歩」につなげる、など)用いることで、器とオブジェを連続させるのだ。要するに、陶芸が手段ではなくて目的であるとき、あらゆる現代美術に見られる自己批評性が、陶芸にも現れるのであって、陶芸の現代性とは「陶芸とは何か」をその──洞窟絵画のように古い──歴史と構成要素にわたって問うことだったのだから、少なくともこの現代性を踏まえなければ、陶芸を用いた現代美術(大部分)はあっても、現代美術としての陶芸(極少数)はない。先に名前を挙げた日本の陶芸家は、その極少数である。
生と死の二重表現
さて、そもそも器の形は人体(トルソ)を連想させるが、そこへ「綴化」(植物の生長点異常のこと)という原理を導入して、混沌とした生命力とエロスのうねりや襞を、磁器のなかへ持ち込んだのが川端陶芸である、とまずは言える。しかし、本来、静的で完璧な造形に向いている磁器という素材に、そぐわないとされた流動性を持ち込んだだけであれば、それは桃山陶のダイナミズムを磁器で表現して画期をなした加藤委(つぶさ)の影響下に収まっていただろう。じつは、川端作品の大きな特徴はその先の装飾にある。川端は、陶芸の伝統的な装飾(貼花、釉重ね、掛け分け、象嵌、縁取り……)を綴化させる。装飾の綴化とは、それが「何かを飾る」という従属的な地位から離れて自己展開することである。スカート本体にフリルを付けて装飾するのではなく、フリルだけがスカートを形成するように、フリルだけでできた茶盌(綴化茶盌)がつくられるのだ。綴化の原理は、磁器の世界を、オブジェや彫刻の世界のみならず、そのまま金銀細工や手芸やパティシエの世界へと多様に開くものであった。
2017年頃、作家はこのシグニチャー的なスタイルを発展させ、仮面のシリーズを開拓する。綴化装飾の原理に、正面性とシンメトリーが導入されて、伎楽面やコメディア・デッラルテの仮面を連想させる造形が生まれた。自然界の生命力にインスパイアされてきた川端陶芸に初めて現れたシンメトリーは、自然のもうひとつの顔、すなわち幾何学的秩序の最初の表現であり、従来のあからさまなエロス的造形に代わる、タナトス的造形の端緒であった。
大きく分けて川端作品には、ガラス粒を練り込んだ磁土による白い作品と、銀彩を硫化して発色させる青緑の作品がある。前者は、紐づくりによって連続的に立ち上がる曲面で構成され、後者は、小さな断片が凝集してある形態をとる。今展では、これら定番作品(「Batista 」や「Soos 」「C-Cup 」)と並んで、新作群において、生と死の二重表現が、より深い、新しい展開を見せていた。それはシンメトリーではなく、肉体(トルソや襞)のなかの骨──肉体の芯として生命を支え続けるとともに、死んでなお遺り続ける骨──としてである。「Soos」のひとつに、足首、膝関節や肩関節を構成する複雑な骨の造形が現れ、「女(スプーン)」ですら、この凡庸な題名を超えて、むき出しの骨を思わせるマットな白と筋張った細部の造形のおかげで、動物の骨でできた民族楽器のように見える(「女」ではなく、死者と交流するための)。しかしなんといっても出色は、巻き貝のように複雑に入り組んだ曲面(底部から巻き上げられた壺・瓶が途中から多数に分裂したもの)が、焼成過程で崩れ落ちた、その偶然の造形をさらに取り入れて再焼成した「Calyx」のシリーズであった。骨粗鬆症のダンサーが激しく踊って崩れ落ちたような踏み潰された貝殻のような作品群は、磁土の紐に練り込まれたガラス粒の密度によって、堅牢な磁器の各部分に様々なレベルの脆弱さが生じ、その脆弱さが造形の原理となって生まれる。砕けた骨として再焼成された作品には、生命の脆さと危うさが結晶化している。
(『美術手帖』2021年8月号「REVIEWS」より)