写真の生成と、もうひとりの自分
写真というメディウムそのものの可能性に目を向けるのが、ジャン・ポンイーだ。会場で紹介される「Dark Addiction」は、カメラを使わず、蛍の発光を感光フィルムに直接記録した作品。暗い画面には無数の光の線や点が浮かび、抽象絵画や宇宙の星々を思わせるイメージが広がる。

ジャンによれば、作品タイトルに記された数字は、蛍をフィルム上に置いていた時間を示している。通常の写真撮影では構図や露出を撮影者が制御するが、このシリーズでは、蛍の動きや発光によって予測できない像が生み出される。

作家は、あえて制作過程へのコントロールを手放すことで、写真が人間の意図を超えて生成される可能性を探っているという。蛍の光という生命活動の痕跡を感光材料に定着させる試みは、生命の儚さや消失という問題にもつながっている。
最後に紹介するfumiko imanoは、自身の写真を切り貼りすることで、架空の双子の姉妹を生み出してきた。本展では、コロナ禍のパリ滞在中に制作した作品を中心に、写真に加えてドローイングやホテルで集めた品々も紹介する。当時、滞在先のホテルにはほとんど宿泊客がおらず、imanoはその空間を利用して、もうひとりの自分と過ごす場面を撮影した。

作品に登場する2人は、いずれも作家自身を写したものだ。撮影した2枚の写真をはさみで切り、のりで貼り合わせるというアナログな手法を用いている。imanoは内覧会で、実際には双子ではない自分が双子として写ることは、一種の「嘘」であると説明した。だからこそ、デジタル技術で継ぎ目を消すのではなく、あえて切り貼りの痕跡を残し、つくられたイメージであることを示しているという。

また、撮影は事前に構図を細かく計画するのではなく、その場で着想を得て進めることが多いと語った。ひとりでありながら、ふたりでもある。そうした虚構を写真のなかにつくり出す行為は、「デュエット」という本展のタイトルとも響き合う。
福島の風景に刻まれた震災の記憶、中国東北部と朝鮮半島にまたがる歴史、古代の詩と現在の土地、移動する人々のアイデンティティ、そして写真の生成過程や架空の自己。それぞれが異なる時間や場所、存在のあいだに関係を見出そうとしている点で、互いに響き合っている。日中の現代写真・映像を単一の地域性や世代で捉えるのではなく、その多様な声が交差する場として読み解く手がかりと言える展覧会だ。



















