病床でも描き続けた最後の風景
最後を飾る第5章のタイトルは、「如何に超越すべきか」。1929年春、首の痛みをきっかけに病が判明した前田寛治は、病床で制作を続け作品を残している。本章では、《海(絶筆)》へと至る風景画や海景画を通して、30年の4月に33歳で早逝するまでの作品をたどる。

《新緑風景》(1929)は、亡くなる前年に描かれた風景画。柔らかな緑や淡い桃色を重ねながら、樹木や草木が画面いっぱいに広がる。短い筆致が画面全体を覆う一方で、中央には光が差し込むような空間が設けられ、視線は自然と奥へと導かれていく。解説文では、この頃の風景画について「この辺(荻窪)の風景の総合なんだよ」と前田が語っていたことを紹介しており、身近な景色をもとにしながらも、複数の風景を統合した独自の空間として構成されていることがうかがえる。

本展の最後には、修復後初公開となる《海(絶筆)》(1930)が配置されている。画面には海と樹木が簡潔な筆致で描かれ、構図の試行が見て取れる。いっぽうで、展示解説では本作を同時期の風景画とは異なる構想を示す作品と位置づけてられており、病床にあっても既存の表現にとどまらず、新たな風景表現を探り続けていたことがうかがえる。
33年という短い生涯が遺したもの
本展では、初期のスケッチや書簡から、パリ留学、「生命の写実」の確立、そして病床で描かれた絶筆まで、141点の作品と資料によって前田の人生の歩みをたどることができる。「写実とは生命を描くこと」という探究は、完成作だけでなく、制作途中の習作や絶筆にも貫かれていた。本展はその短くも豊かな人生を通覧することによって、前田寛治の日本近代洋画史における存在の大きさを知ることができる機会となるだろう。



















