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「生誕130年 前田寛治 ポエジイとレアリスム 一九三〇年協会設立100年」(東京ステーションギャラリー)開幕レポート。夭折の画家・前田寛治が追い求めた「生命の写実」【2/3ページ】

「生命の写実」がたどり着いた境地

 第3章では、帰国後に確立されていく「生命の写実」に焦点が当てられる。前田にとって写実とは、対象を正確に再現することではなく、対象の内部に宿る生命を描き出すことだったという。

前田寛治《ブルターニュの女》(1925)

 《ブルターニュの女》(1925)では、独自の写実に対する見地を感じることができる。民族衣装をまとった女性を真正面から描いた本作では、衣服の下に感じられる身体の量感まで丁寧に表現されている。会場解説では、こうした人体把握はドミニク・アングルに通じる古典的造形性として位置づけられており、西洋古典絵画への深い理解と、前田独自の重厚な写実表現が結び付いた作品として紹介されている。

前田寛治《J・C嬢の像》(1925)

 帰国後まもなく制作された《J・C嬢の像》(1925)は、本展を代表する作品のひとつだ。モデルとなったジャクリーヌ・ショーダンは、前田が滞仏中に親交を深めたフランス人女性。深い赤のドレスをまとい、正面を静かに見据える姿は、一見すると古典的な肖像画を思わせる。しかし、背景には家具や暖炉を思わせる複雑な構成が組み込まれ、人物の存在感をいっそう際立たせている。1925年の帰国後、本作は第6回帝展に出品され、前田は特選を受賞した。留学で培った成果が、日本の洋画界で高く評価されたことを示す記念碑的作品でもある。

前田寛治《裸婦》(1928)

 量感と色彩を重視する「生命の写実」がもっとも鮮やかに示される作品のひとつが《裸婦》(1928)だ。片脚を立てて寝台に横たわる女性の身体の下には赤いブランケットが敷かれ、その赤は画面全体へと滲み出すように広がっている。人物は立体的な量感を備えながら、背景には細かな筆触が密に重ねられ、画面全体に静かな統一感をもたらす。解説で「画面のなかにポエジイを含み持つ前田独自のレアリスムがここに結実している」と述べられていたように、詩情と写実という、一見相反する要素が両立することを示す作品だ。

前田寛治《棟梁の家族》(1928)

 また、労働者を描いた作品群にもその志向はあらわれる。《棟梁の家族》(1928)は、大工一家五人を描いた1作。机を囲む家族は、それぞれ独立した存在感を持ちながらも、画面全体は緻密な構成によって高い統一感を保っている。衣服の赤、背景の青、家具の白が絶妙な均衡を生み、人物同士の関係性までも画面のリズムへと変換している。この作品について、里見勝蔵は「前田の最高能力」と評し、前田自身の写実論が到達したひとつの頂点とみなしていたという。人物の職業や社会的属性を描くのではなく、人間が持つ生命の重さを描こうとする姿勢は、前田作品を象徴する視点でもある。

一九三〇年協会が目指した、新しい洋画運動

 第4章では一九三〇年協会の活動を紹介。1926年、前田は里見勝蔵、林武、佐伯祐三ら若い画家たちとともに同協会を設立した。既存の公募団体とは異なる自由な発表の場を目指したこの団体は、特定の様式を掲げず「生命感のある絵画」を追求。フォーヴィスムから写実まで、多様な表現を認めながら、それぞれが新しい洋画を模索した。

川口軌外《臥する女》(1927〜29)

 展示室ではヨーロッパ前衛の影響を取り入れた川口軌外《臥する女》(1927〜29)をはじめ、長谷川利行《靉光像》(1928)や《汽罐車庫》(1928)など、協会に参加した画家たちによる個性的な作品が紹介されている。日本洋画が写実だけでなくフォービズムなどの多様な表現へと広がった様子が垣間見える。

一九三〇年協会の写真や資料 
一九三〇年協会の写真や資料

 また、会場では協会展の図録や雑誌、資料もあわせて展示され、画家たちが作品だけでなく思想や議論を共有していたことをうかがうこともできる。作品と資料をあわせて見ることで、一九三〇年協会がたんなる作家集団ではなく、日本洋画の方向性そのものを問い直した運動だったことが浮かび上がる。

編集部