東京駅構内の東京ステーションギャラリーで「生誕130年 前田寛治 ポエジイとレアリスム 一九三〇年協会設立100年」が開幕した。会期は8月30日まで。本展では、詩情(ポエジイ)と写実(レアリスム)の両立を追求した画家・前田寛治(1896〜1930)の画業を振り返るとともに、「一九三〇年協会」の画家たちの作品もあわせて紹介。日本近代洋画における前田の位置づけを、同時代の動向とともに再考する。担当は同館学芸員の田中晴子。
前田寛治は1896年鳥取県生まれ。1920年代の日本洋画壇を代表する画家のひとりとされている。東京美術学校卒業後に渡仏し、西洋近代美術を吸収しながら独自の写実表現を追究。帰国後は「生命の写実」という理念を掲げ、1926年には同世代の画家らとともに一九三〇年協会の設立にも加わるが、34歳で夭折。その活動期間はわずか十数年にとどまる。

本展は、前田の生誕130年と、一九三〇年協会設立100周年という節目にあわせて開催される18年ぶりの大規模回顧展。油彩画約80点を中心に、スケッチブックや書簡、雑誌などの資料を含む約140点によって、その画業を初期から晩年までたどるとともに、パリ留学時代の盟友グループ「パリーの豚児」の作品や、一九三〇年協会の画家たちの作品もあわせて紹介する。
展示は全4章で構成される。第1章では東京美術学校時代から渡仏前まで、第2章ではパリ留学期、第3章では帰国後に確立される「生命の写実」、第4章では一九三〇年協会の活動へと続き、第5章では晩年の作品を紹介。1人の画家の歩みを、日本近代洋画史の流れのなかで読み解いていく。
画家としての原点──東京美術学校時代から渡仏前まで
第1章では、東京美術学校時代から渡仏前までの作品と資料を紹介する。
前田は1916年に東京美術学校西洋画科へ入学し、藤島武二(1867〜1943)の門下で学んだ。在学中から帝展や二科展へ積極的に出品し、卒業後も同校研究科に在籍しながら制作を続けた。会場には、学生時代からすでに確かな画力を備えていたことを示す作品が並ぶ。


《立てる子供》(1922)は、姪をモデルに描いた作品で、第9回平和記念東京博覧会西洋画展覧会で受賞した作品。人物を包み込む柔らかな光と重厚な色彩が印象的で、衣服の下に感じられる身体の量感まで捉えようとする眼差しは、後年の写実表現を予感させる。解説では、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834〜1903)やポール・セザンヌ(1839〜1906)からの影響にも触れられており、自然な生命感を備えた人物像として紹介されている。
パリ留学で出会った「ポエジイ」とリアリスム
1923年、前田はフランスへ渡った。第2章では、約2年半にわたるパリ留学期の作品を紹介する。

パリへ向かう船では、偶然にも物理学者アルベルト・アインシュタイン(1879〜1955)と同乗。船内に子供を見つけてはスケッチを繰り返していた前田に「これを描くには、自分自身に童心があるということだ」というドイツ語のコメントを書き添えたという。会場には、アインシュタイン直筆のコメントが記された《子供の顔》(1923)や船内で描かれた《アルベルト・アインシュタイン像》(1922〜23)が展示されている。対象を繰り返し観察し、本質へ迫ろうとする前田の制作態度が、世界的な科学者の目にも印象深く映ったことを物語っているエピソードだ。

パリでは、のちに日本のフォーヴィズム運動を牽引した里見勝蔵(1895〜1981)やパリの街路を描いた佐伯祐三(1898〜1928)、《マチス礼讃》(1951)で1952年に在野の画家として初めて日本芸術院賞を受賞した中山巍(1893〜1978)ら同世代の作家たちと交流を深め、「パリーの豚児」と呼ばれるグループを結成。中山巍による《アトリエの前田と里見》(1929)は、その交流を象徴する作品として紹介されている。会場では、画中で左に描かれた里見勝蔵に対応するよう左側へ里見作品を、右に描かれた前田寛治に対応するよう右側へ前田作品を配置し、人物と作品が展示空間内で呼応するよう演出されている。



































