第2章「漫画 人とのつながり」
第2章「漫画 人とのつながり」では、やなせが手がけた漫画作品に注目する。漫画家・横山隆一(1909〜2001)と近い関係であった同級生がいたことから、漫画家に憧れを抱いたやなせは、戦後三越宣伝部に勤めながら小島功(1928〜2015)らの「独立漫画派」に参加。1953年に独立し、広告漫画や新聞連載などを手がけるようになる。会場には、やなせが手がけた最初の漫画『新版・キュウリ夫人傳』(1946)や、自ら「パントマイム漫画」と名づけたセリフのないサイレント漫画『ビールの王さま』(1954)など、貴重な初期作品も展示されている。

第3章「詩 うたうように生まれる」
第3章「詩 うたうように生まれる」では、やなせの詩人としての側面に焦点を当てる。1961年に「手のひらを太陽に」を作詞し、63年には初の自筆詩集『こどもごころの歌』を自費出版。山梨シルクセンター(現サンリオ)社長・辻信太郎との出会いを機に、その後も精力的に詩集を出版し続けた。


73年に創刊した雑誌『詩とメルヘン』は、大きな文字で印刷された詩と絵を中心とした異色の雑誌だった。2003年の休刊までの30年間、やなせは編集長として後進を育てつつ、全359号の表紙イラストを自ら描き、晩年まで詩作を続けた。会場には創刊号のほか、過去号すべての表紙の書影が壁面に並ぶ。創刊号と最終号の「編集前記」のテキストからは、30年以上にわたり雑誌に注いだやなせの生の言葉に触れることができる。
第4章「絵本とやなせメルヘン」
第4章「絵本とやなせメルヘン」では、やなせが創作した物語に迫る。やなせは「小説でも童話でも詩でも絵物語でもなく、またそれらのすべてでもあるような」物語を「やなせメルヘン」と称した。1965年に初の絵本『飛ぶワニ』を刊行。69年に発表した、みなしごのライオンと育ての母犬の絆を描いた『やさしいライオン』は、やなせの絵本の代表作となった。本作は漫画、ラジオドラマ、映画、紙芝居など様々な媒体で展開され、同じテーマを繰り返し描くやなせの創作スタイルを象徴している。子供向けにしては残酷とも言える悲しい場面もあるが、やなせは「私は人生の悲痛については眼をそむけるべきではない」と語り、自身が経験した痛みを作品に昇華させた。会場では、本作の原画が展示されている。

ほかにも、「復讐の虚しさ」が描かれた絵本『チリンのすず』(1978)などにも、やなせの経験に基づく深いメッセージが託されている。「ボクは子どもに対する時は大人に対する時よりも、もっと一生けんめいにひとつの人格として認めることにしています」(『もうひとつのアンパンマン物語』)。子供を甘やかさず、対等に向きあう姿勢から生まれた作品だからこそ、多くの人の心に届き、時代を超えて愛され続けているのかもしれない。



















