日本はもとより、海外にも多くの読者を持つ漫画家・谷口ジロー(1947〜2017)。その作品世界を貴重な自筆原画など約300点で紹介する展覧会「描くひと 谷口ジロー展」が東京の世田谷文学館で開幕した。会期は2022年2月27日まで。
『孤独のグルメ』や『神々の山嶺』、『「坊っちゃん」とその時代』といったマンガの作画担当として知られる谷口。2011年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエ章を受賞し、各国でその作品が映像化されるなど、国内のみならず海外でも高い評価を得ている漫画家だ。
本展は、谷口の作品を6つの章と1つの特設コーナーによって年代別に紹介。多彩なテーマと向き合いながら、谷口がいかにマンガ表現を高めていったのかをたどる展覧会となっている。
会場入口から始まる「プロローグ」では、70年代から2010年代にかけての代表作を一堂に展示し、谷口作品の全貌を大型のパネル展示で紹介。その作品テーマの多様さが印象づけられる。
第1章「漫画家への道のり」では、谷口が漫画家としてデビューし、活躍を始める時期の作品を紹介。谷口は20歳のときに上京し、動物漫画で知られる石川球太のアシスタントとして働きながらデビューの機会を待っていた。
谷口は71年の『嗄(か)れた部屋』で漫画誌デビュー。イラストレーター・上村一夫のアシスタントを務めながら、75年に『遠い声』で第14回ビッグコミック賞の佳作に入選。青年コミック誌に多くの作品を発表しながらも、フランスのバンドデシネと出会いその描写を吸収するなど、表現の幅を広げていった。会場では、あまり知られていない谷口の初期作品や初期絵本を紹介する。
第2章「70〜80年代 共作者・原作者とともに時代の空気を描く」では、原作者や共作者、そして編集者とともに新たなマンガのあり方を模索した時代の作品を紹介。
谷口のマンガを語るうえで重要な原作者が関川夏央だ。同世代のふたりは編集者の手引きで出会ったのち、77年から共作を開始。数々の傑作を生み出していく。会場では79年に始まり90年代半ばまで続いた『事件屋家業』のキャラクター設定ラフをはじめ、関川とともに手がけた作品の数々の原画を展示。巧みなベタ使いによるハードボイルドな陰影表現や、カラー原画の迫力ある色使いをじっくりと楽しむことができる。
第3章「80年代 動物・自然をモチーフに拡がる表現」は、動物や自然を中心とした谷口の、磨きがかかる描写力に迫る。
1982年、谷口は初のオリジナル長篇である『ブランカ』の連載を開始。軍用に遺伝子操作された犬・ブランカが、飼い主のいるニューヨークを目指してベーリング海峡をわたる物語だ。展示された原画からは、人語を話さないブランカの内面が、目や表情、自然の描写を通して巧みに描かれていることがよくわかる。
また、後に『神々の山嶺』で見せる山岳描写も、この時代に描かれた『K』などから伺うことができ、その後の代表作の土壌となる表現力が、この時代にさらに深化したことがうかがえる。
第3章の後には世田谷文学館らしい特設コーナとして、谷口と関川の共作である『「坊っちゃん」の時代』を掘り下げて紹介している。『「坊っちゃん」の時代』は夏目漱石や森鴎外、石川啄木、幸徳秋水といった明治の文学者たちが、お互いの思想や生き方に影響を与え合いながら、日本の近代の夜明けである明治という時代を生きる様を描いた作品だ。
展示では、作品のバックグランドの紹介のみならず、多くの原画を展示。服装から店や家の様子、建築までを細密に描き、関川の原案に骨太な物語の舞台を与えていった谷口の手腕を堪能したい。
つづく第4章「90年代 多彩な作品、これまでにない漫画に挑む」では、より多彩になった谷口の作品群を見ることができる。セリフがほとんどなく主人公の表情や風景の描写で話のシークエンスがつくられていく『歩くひと』や、死にゆく愛犬を愛情をもって細やかに描写した『犬を飼う』などだ。双方ともにマンガにおける絵の役割を追求した谷口らしい作品であり、展示された原画を一コマずつ絵として楽しみたい。
また、ドラマ化もされた人気作品である『孤独のグルメ』(原作:久住昌之)も94年に連載がスタート。マンガではなかなか意識できないそれぞれの料理の香り立つような描写がよくわかる原画を、間近で見ることが可能だ。
第5章「2000年代 高まる評価、深化する表現」では、各国で評価が高まっていく谷口のマンガを追う。
とくに夢枕獏の小説をマンガ化した『神々の山嶺』は、圧倒的な山岳風景や、登頂時の心理を克明に映す人物の描写が高く評価され、多くの賞を受賞した。原画をプリントしたパネルとともに組み合わされた原稿群からは、デビューから時を経て谷口がいかにその画を研ぎ澄ませていったのかがわかるだろう。
第6章「2010年代 自由な眼、巧みな手。さらに新しい一歩を」では、2010年に連載を開始した『ふらり。』などを紹介。主人公が江戸の町を散策する同作において、谷口は木版画のような表現を目指すなど、新たな描写を模索している。
また、谷口の海外での評価はこの時期より高まる。ルーヴル美術館とのプロジェクトにより、渡仏して制作した『千年の翼、百年の夢』などの原画を展示し、谷口マンガの世界での受容を紹介する。
最後の「エピローグ」は、長年温めていた構想をもとに闘病中に描き始め、全5章のうち1章のみが完成した『光年の森』や、内田百閒の短編『花火』を原作とした『いざなうもの その壱 花火』など未完作品の原稿を展示。最期まで新たな表現を志向し続けた漫画家の軌跡を知ることができる。
識者や同業の漫画家からは高い評価を受け、海外での知名度も高い谷口ジロー。没後5年を前に、その功績を改めて回顧するとともに、国内を中心にその評価をあらためて問う意欲的な展示となっている。