熊本、そして水俣の人として
第4章「われらにさきかえてきたりしもの、風の舟」は、1990年代の秀島の活動を辿るものだ。秀島は91年にベルギーを訪れ初の海外経験を得る。このときの経験から、95年の大川美術館での個展に出展した作品にはブルージュの街並みが登場する。また、この個展を見た高橋陸郎から誘いを受けて、詩画集『われらにさきかけてきたりしもの』が発表され、アルフレッド・ヒッチコック『鳥』(1963)からの影響を受けた、鳥がモチーフとして頻出する作品をつくり上げた。


また、この時期には自伝の連載『風の舟』の挿絵としてつくられた、親しい人々の肖像画を描いた同名のシリーズを発表。さらに石牟礼道子の新聞連載小説『春の城』の挿絵シリーズへとつながる。故郷の水俣の人や風景を、秀島の独特の解釈によって、夢と現実のあわいにあるような世界を構築していった。秀島の作品には、直接的に水俣病と関連するものはないが、故郷が受けた被害への寄り添いや、その後の運動へのささやかな帯同は、こうした故郷と個人史を結びつけるなかに見出せると言える。


第5章「前向きな未完と加筆」は、2000年代以降、逝去するまでの様々な技法を使った実験的な作品を紹介。写真に自身が好んだ虫、花、卵、頭蓋骨といったコラージュを加え、作家自身を登場させた「空蝉」シリーズを制作したほか、過去に描いた静物画に加筆して新たな作品を生み出すなどの活動を行った。

秀島が2018年に逝去したのち、和水町と熊本市現代美術館によって、その遺品から創作の裏側が紐解かれていった。第6章「創作の舞台裏」では、見つかった写真群を展示することで、秀島の制作に写真が深く関係していたことを、実作と写真を並べながら読み解いている。

第7章「師や友との交流」は秀島が所有していた、親しかった作家たちの作品を紹介。秀島が師として仰いだ版画家・浜田知明、画家・海老原喜之助の両作家の作品に加え、浜田に秀島を紹介した境野一之(1900〜89)の色彩豊かな作品も今回発見された。さらに、石牟礼道子のイラストのコピーに秀島が着彩したものや、熊本の同世代画家である梅本妙子(1922〜2003)や渕田安子(1933〜)の絵画やデッサンなども発見。熊本における秀島の交友関係をうかがうことができる。
最後の第8章「自己研鑽のための美術・工芸コレクション」では、秀島が集めていた作品を展示。ジャック・カロ(1592〜1635)やジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(1720〜78)のほか、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828)、ウィリアム・ホガース(1697〜1764)、オーブリー・ビアズリー(1872〜98)といった作家の作品も見つかった。ほかにも多くの浮世絵を集めており、その構図や画題に関心が注がれていたことがわかる。

なお、本展では8.5章「エロス」として、注意書きを付すかたちで仕切りを設け、秀島の性への興味がうかがえる作品やコレクションも展示。男性の裸体や、乳房や臀部といった直接的なモチーフが表れた作品、そして春画のコレクションなども紹介されており、秀島の興味の方向の多様さを感じることができるはずだ。
和水町と同館の綿密な調査によって、秀島由己男という作家の来歴を研究成果とともに発表した本展。そこからは独特の作品世界とともに、故郷・熊本にあった、教師、作家、詩人といった文化に携わる人々の豊かなネットワークも見えてくる。貧しさゆえ、中学卒業後すぐに就職しなければならなかった秀島の才覚を見出し、ひとりの美術家として育て上げたのは、海老原や浜田といった師のみならず、この風土があってこそだったと感じられる。本展は秀島の類稀な活動を振り返るのみならず、アーティストが育ち活躍できる場の在り方についても、考えさせてるものとなっている。



















