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「秀島由己男展 ダークファンタジー/ミステリアス 水俣が生んだ異才」(熊本市現代美術館)レポート。独創の作家の足跡と、それを育てた風土【2/3ページ】

独学での研鑽を経て美術界から評価

 本展は全8章で構成されている。第1章「はじまり─水俣」は秀島の出生から美術家として頭角を現すまでの経歴を辿る。

 水俣市の花街にある貧しい家庭に生まれた秀島は、高校進学を望めず映画館や米屋の職を転々とするが、馴染めずに無職となる。このとき、出身の水俣第一中学校の美術教師・長野勇が開いていた無料の画塾と出会い、秀島は水彩画を学ぶことになる。その後、長野の計らいで母校の事務補助職員に就職。勤務をしながらペン画を描く生活を送るようになり、やがて18歳のときに熊本県水彩画展で最高賞を受賞した。

 23歳のときには東京から帰郷した浜田知明に師事し、銅版画の技術を学ぶ。そして29歳、海老原喜之助や土方定一らの審査により第19回熊日総合美術展でK氏賞を受賞。美術家としての地位を確立した。

右が水彩の秀島由己男《静物》(1953)、左が木炭によるクロッキーと思われる作品名不詳の肖像画(1956)
左から秀島由己男《キリストと民衆》(1961)、《霊歌(仮面A)》(1962)。黒人霊歌とともにキリスト教の信仰への関心もうかがえる

 会場では秀島の10代後半〜20代前半の作品として、水彩の静物や木炭クロッキーによると思われる肖像画、抽象的なペン画などが紹介されている。なかでも注目すべきは、生涯の画業を通じて繰り返しに出てくる、大きな口を開けた人物の記号化されたモチーフが描かれた《霊歌(仮面A)》(1962)だろう。

 秀島が事務補助職員としての勤務中、用務員室の隣にある音楽室のレコードプレイヤーから聞こえてきたのが、マリアン・アンダーソンをはじめとする黒人霊歌だったという。そこに普遍的な人間の悲しみを感じ取った秀島は、霊歌を歌う人物の姿を自身の作品に登場させるようになっていった。

秀島が所蔵していた博多人形(制作年不明)。「霊歌」シリーズのモチーフとの関連が指摘できる

「霊歌」モチーフと独自の世界観の確立

 第2章「霊歌、彼岸花、蝶紋」では、1964年に事務補助職員を退職、熊本市に移り画業に専念して以降の秀島の作品を紹介。66年に初個展「第1回秀島由己男展─ペンに依る黒の歌─」(南天子画廊、東京)を開催。以降、銅版画や、テンペラと油彩の混合といった手法を試みるようになる。

秀島由己男《霊歌(祖霊の国)》(1965-68)。ペン画でひしめくように合唱するモチーフが描かれている

 この時期には口を開けた人物をモチーフとしたペン画の「霊歌」シリーズが数多く制作されたほか、キャベツやカボチャといった野菜や、木々や屋根を描いた風景などがモチーフとなっている、緻密な油彩画も描いている。

 70年代に入ると、秀島は様々な表現者とコラボレーションを行う。土方定一の童話集『カレバラス国に名高き かの物語』(1972)の挿絵や、石牟礼道子との詩画集『彼岸花』(1973)、歌人・安永蕗子との歌画集『蝶紋』(1977)などが刊行。会場にはそれらの原画が並ぶ。

左から秀島由己男《太郎〈燈籠〉(詩画集『彼岸花』)》《花子(詩画集『彼岸花』)》《少年(詩画集『彼岸花』)》(すべて1973)。左2点はメゾチント、右はエッチングとアクアチントを組み合わせており、多彩な版画技術を有していた

 とくに『彼岸花』に掲載された人体に貝殻や玩具といったモチーフを配したメゾチントは、ひと目見て強い印象を残す超現実的な世界が表現されており、単体の作品としても魅力的だ。『彼岸花』は高い評価を得て、国内館のグループ展への出展のみならず「アート・バーゼル」への出品や、フィンランド、イタリアでの紹介なども行われた。石牟礼と秀島の関係はその後も長く続き、以降も石牟礼の書籍の表紙や挿絵を秀島が手がけたり、あるいは秀島が自作の命名を石牟礼に頼むなど、互いの創作を認め合っていた。

 1984年、秀島は新宿の旧瀧口修造邸へと移り住み、東京を拠点に活動を始めるも、3年ほどで熊本に帰ることになる。第3章「静物考」では、この時期の秀島を代表する、詩人・高橋陸郎と制作した詩画集『静物考』などを紹介。原画からは、メロンやキャベツ、サンマといった静物を緻密に写し取る、秀島の到達したエッチングの技術の高みが伝わってくる。

左から秀島由己男《霊歌(ヒロシマ)A》(1988)、《霊歌B》(1986)。左は《霊歌(祖霊の国)》(1965-68)のイメージを使用しつつ、原爆ドームを組み合わせている

 また、89年には「広島、ヒロシマ、HIROSHIMA─国内外の制作委託作家78名によるヒロシマの心─」展に出品。その出品作《霊歌(ヒロシマ)A》(1988)は、秀島のアイコンともいえる口を開けた人物のモチーフが、頭蓋骨と原爆ドームの後ろに並んでいる。「霊歌」のアイコンが、直接的に平和への願いに結びついた一例といえるだろう。

編集部