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「川合玉堂―なつかしい日本の情景―」(山種美術館)開幕レポート。ノスタルジーを風景に託した玉堂の画業を辿る【4/4ページ】

第3章 画業の円熟 奥多摩時代―戦後

 「第3章 画業の円熟 奥多摩時代―戦後」では、1944年に戦禍を避け、奥多摩の御岳に疎開した後の時代に描かれた作品に焦点を当てている。45年5月に都内の自宅が戦災で焼失してしまった背景もあり、玉堂は57年に83歳でこの世を去るまでの晩年期をこの地で過ごした。

川合玉堂《朝晴》(1946)絹本、彩色、軸(一幅) 86.1×102.8cm 山種美術館 第1回日展出品作

 山林が身近な場所で制作を続けた玉堂は、そこに暮らす人々の日常をテーマにすることが増えていき、作風も大らかで牧歌的な雰囲気へと変化していく。

 46年、文展が日展と名を改め再開された際、玉堂はその第1回展で審査員を務めた。会場では、同展に出品された《朝晴》(1946)も見ることができる。

川合玉堂から山﨑種二宛書簡(1940) 山種美術館

 本稿冒頭で同館創立者の種二と玉堂が親しい間柄であったことを紹介したが、その関係を示す資料のひとつとして、本展では玉堂と種二の書簡も展示されている。玉堂が奥多摩に疎開していた際、種二は米を玉堂のもとへ贈ることもあったという。会場では、玉堂による直筆のお礼の書簡が公開されている。

第4章 玉堂のまなざし

 「第4章 玉堂のまなざし」では、同時代の画家たちを含め、玉堂と親しかった人々とのつながりから生まれた作品が紹介されている。玉堂は優しく親しみやすい人柄で、種二の長女の結婚祝いとして玉堂が作品を描き下ろしたというエピソードも残る。その作品《松上双鶴》(1942)は、松につがいの鶴という、婚礼祝いに相応しい画題で描かれた名品だ。

川合玉堂《松上双鶴》(1942)絹本、彩色、軸(一幅) 55.1×72.6cm 山種美術館
左:川端龍子《梅(紫昏図)》、中央:横山大観《松(白砂青松)》、右:川合玉堂《竹(東風)》(1955)絹本、彩色、軸(三幅対) 各56.5×72cm 山種美術館

 また、同時代の画家とも交流も深く、種二が実現を熱望した、横山大観、川端龍子、川合玉堂による合同展「松竹梅展」では合作を発表。会場には、それぞれが描いた「松」「竹」「梅」の作品とともに、当時の様子が伝わる写真も展示されている。

 円山・四条派や狩野派の様式を取り入れながら、独自のスタイルを探求した玉堂。その画業のなかでは、親しみやすい人柄ゆえに様々な人々との交流があり、それが作風の温かみへとつながっているように感じる。確かな技術力に裏打ちされた画業の変遷を辿るとともに、玉堂が何を見てきたのか、作品を通じて追体験できる展覧会だ。

編集部