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「没後10年 江見絹子ー1962年のヴェネチア・ビエンナーレ出品作品を中心にー」(神奈川県立近代美術館 葉山)開幕レポート。作為×偶然を求めたある画家の挑戦【3/3ページ】

 続いて、第5回現代日本美術展に出展され、鎌倉近代美術館賞を受賞した《作品1》と、その隣にまた作風の異なる《クロノスの貌》(1975年)が紹介される。

展示風景より、左:江見絹子《作品1》(1962)、右:江見絹子《クロノスの貌》(1975)

 この2点の制作時期の間には13年の時が流れる。75年以降、江見は絵具を薄く伸ばしてキャンバス上に流すという制作手法をとった。大きなキャンバスを江見が自身の手で持ちあげ、傾けながら絵具を流すという大変重労働な作業であったという。自然の摂理による偶然を取り入れる動きは、このときにも実践されている。

 80年に制作された《FUDARAKU》は、江見の代表作のうちのひとつ。江見の母親が亡くなった直後に制作した作品だ。当時江見は泣きながら本作を描いていたという。

展示風景より、江見絹子《FUDARAKU》(1980)

 86年頃からまた作風が変化する。自然の摂理による偶然を取り込むだけでなく、自身の筆跡をキャンバスに残す作為的な方法にも挑戦していた。86年の《幻想と秩序》にも、その兆候が見てとれる。

展示風景より

 娘の荻野アンナ曰く、「江見絹子は自己模倣を絶対にしなかった」。文学や写真、社会状況など様々なものからインスピレーションを受けながら、試行錯誤を経て作風の異なる作品をつくり続けた江見は、つねに自身への挑戦を続けていた。没後10年という節目の今年に、江見絹子という作為と偶然による制作に挑戦し続けた1人の作家の、画業をたどってみてはいかがだろうか。

江見の娘である、芥川賞作家の荻野アンナ

編集部