ファン・ゴッホが絵画に関心を深め始めた頃、パリではすでに1874年の第1回印象派展を皮切りに、新しい表現が台頭しつつあった。1886年、弟テオを頼ってパリを訪れたゴッホは、それまで想像すらできなかった革新的な絵画表現と出会うことになる。クロード・モネやカミーユ・ピサロの作品を目にしたことで、その新しい表現に強い衝撃を受けたのである。
第3章「パリの画家とファン・ゴッホ」では、モネ《モネのアトリエ舟》(1874)、ルノワール《カフェにて》(1877頃)、マネ《男の肖像》(1860)など、19世紀後半のパリを彩った画家たちの作品が一堂に会する。モネがセーヌ川に浮かべたアトリエ舟から眺めた光景や、ルノワールが描いたカフェの若い女性たちの親密な場面は、明るい色彩と筆致によって都市の空気感を鮮やかに伝えている。


1885年に父を亡くしたゴッホは、ベルギーのアントウェルペンを経て、1886年2月に弟テオの住むパリへと向かった。ここで彼は約2年間にわたり、風景画や静物画、自画像などを通じて新たな表現を模索することになる。
第4章「パリ時代」で展示される《モンマルトルの丘》(1886)は、移住間もない時期の作品である。まだ都市化が進む前のモンマルトルの素朴な風景を背景に、赤を基調とした鮮やかな色彩が画面に現れ始めており、パリでの新しい刺激がゴッホの表現を大きく変えつつあったことを物語る。


また、《自画像》(1887)は、パリ滞在中に25点以上描かれた自画像のひとつである。資金難のためモデルを雇うことができず、自身を鏡に映して描いたが、そこには実験的で大胆な表現が見られる。淡い紫のジャケットに緑がかったグレーの縁取り、ライトブルーのネクタイ、背景の青緑色の斑点など、色彩の組み合わせが画面全体を活気づけている。落ち着いた表情に見えるが、瞳の奥には不安や憂鬱が漂い、画家自身の内面をも映し出しているようだ。

© Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands



















