• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • いま改めて問う、美術は戦争をどう描いてきたか──「コレクショ…

いま改めて問う、美術は戦争をどう描いてきたか──「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)
【8/8ページ】

美術館という「記憶装置」で継承を続けていく

 ここまで見てきたように本展は、戦争と美術の関係を考えるうえで、画期となる規模と質を有するものだ。なぜいまこれが企画され、このかたちの展覧会として具現化するに至ったか。同館学芸担当にいくつかの質問を投じ、文面により回答を得た。まず今展開催のきっかけと、企画者の思いについて訊いた。

 「戦後80年」の今年、戦争の実体験者がますます減少するなか、戦争の記憶の継承が社会的な課題になっています。東京国立近代美術館は、満洲事変から日中戦争、そして太平洋戦争にいたる戦時下の1930年代から1940年代に制作された美術を多数収蔵しますし、さらに戦意昂揚と戦争の記録を目的に制作された「戦争記録画」を153点収蔵していることから、美術が戦争をどのように伝えてきたかを検証する展覧会を開催することは当館の課題であると考えました。

 この20年間の間に当館では、同時代の文脈を印刷物で補完することや、他メディアとの比較考察を試みるなど、様々な戦争記録画の展示の方法を試みてきました。「戦後80年」という節目の年に、これまで蓄積してきた知見を集大成した展示を実現することで、次世代にこの戦争遺産を引き継ぐことを目指しました。

 なるほど、同館が蓄積してきた知見の集大成という気概あればこそ、これだけの展示が実現したわけだ。開幕当初の来場者数も堅調のようで、印象として外国人と若い層が多いという。

 「戦後80年」というタイミングで過去の戦争を現在の地点から見つめ直そうという意識・意欲が若者の間に高まっているように感じています。

展示風景より
撮影=木奥惠三

 ただ、ここで一抹の疑問が残る。これほどの規模の展覧会が企画・実行されたにもかかわらず、記者会見や内覧会といった広報活動・メディアへの働きかけが極端に少なかったことだ。戦争画の公開を始める時期にも議論が百出し、多方面への「配慮」を要した経緯があったというのは前述の通りだが、今回も戦争画を扱うゆえの特有の事情があったのだろうか。

 コレクションを通して戦時の美術を繙く大規模な特集としては、2013年に「何かがおこってる:1907-1945の軌跡」(2013年10月〜2014年4月)、「戦後70年」となる2015年に、「誰がためにたたかう?」(5月〜9月)を開催しました。今回の「コレクションを中心とした特集 記録をひらく記憶をつむぐ」展は、これらの過去の試みの延長線上にある企画ととらえているものですから、過去の2例と同様「所蔵品展」に準じた広報計画となっています。

 当館としては、展覧会の会期が3ヶ月と長いものですから、展覧会が開幕してからの取材対応で展覧会の認知は得られるという見通しをもっていました。ともかく自主展としての開催ですから、予算がきわめて限られているのです。そのため、限られた予算をどう使うかを検討した結果、どうしても外部から借りたい作品の輸送費と膨大な会場解説をフルバイリンガルで掲出する費用に予算を費やすことにしました。

 開催にあたり、なんらかの圧力はなかったのだろうか。またこの大規模展がメディア共催ではなく、自主開催になっている理由についてはこう語る。

 本展開催にあたって、なんらかの圧力がかかったということはございません。本展は当初、共催展を想定して準備が進められましたが、共催展となると共催者は一定程度の収益を上げるため、観客動員をはかるための様々な広報策を講じることになりますが、本展覧会はそのテーマ上、センセーショナルなものにすることは美術館の本意ではありませんでした。学術的研究に基づいて、きわめてデリケートなメッセージを鑑賞者に伝えることを企図したものです。そのためある段階で共催展のかたちをとることをやめ、自主企画とする方針に切り替えました。

 同館では今後も、戦争記録画を貴重なコレクションとして、有効に活用していく方針であるという。今展のテーマとなっている「記録と記憶の継承」のために、美術館にどんなことができると考えているだろうか。

 当館所蔵の戦争記録画は、歴史の流れのなかで位置づけ繙いていくべきものという考えに基づいて、造形的な視点、社会・政治的な視点などを織り交ぜながら、戦争の時代を今に伝える貴重な「記録」として、そこから多様な学びを引き出していくつもりです。

 また本展は、「戦争を知らない」世代が、実体験者と異なる視点で過去に向き合うことを積極的に考える機会になっています。展示されている膨大な作品・資料群は、今では図録や画集、さらにはデジタル・アーカイブを通して自由にアクセスすることが可能になっています(すべてではありませんが)。これは、現在の私たちの優位性ではないかと考えてみたいのです。なぜなら、美術や文学など戦争表象を、ジャンル間の比較や大衆文化との関係も含めて俯瞰できる視座を持つこと、さらに、時代や地域を超えた戦争経験との比較考察ができる視点を持つことは、その時代を生きた人々には困難であったと思われるからです。「戦後80年」という時間的な「距離」がそのような比較考察を可能にしているのではないでしょうか。

 しかし、アーカイヴの森は広大です。それゆえ美術館は、視覚芸術や視覚表象を専門に扱う研究機関として、コレクションとアーカイヴを駆使した緻密な編集作業を通じて、歴史に向き合う批評的な視座を提案していく役割を担っているのです。

 絵画や写真や映画といった視覚的な表現が果たした「記録」という役割と、それらを事後に振り返りながら再構成されていく「記憶」の働きに注目しながら、過去を現在と未来につなげていく継承の方法を、美術館という「記憶装置」において実践し続けること。これが本展を通して私たちがあらためて自覚した美術館の公共的な機能となります。

 本展の出口前には、一枚のパネルが掲出してある。「おわりに」と題された文章のみが載っており、その末尾はこうだ。

 「芸術は過去に、人々を戦争へと駆り立てる役割を果たしました。人々の心を動かす芸術の力の両義性を理解したうえで、未来の平和に向けた想像力に繋げていくために、今後も当館が収蔵する戦争記録画をはじめとする作品は貴重な記録として存在し続けるのです。」

 企画者の意は、展示を一巡すれば、じゅうぶんに汲み取れる。「いま、ここ」で実地に観ておきたい展覧会である。

編集部