これから私たちが戦争と向き合い語るために
戦争を直接体験していない世代が戦争に向き合うとき、記憶の継承はいかにして可能となるのか。また、当事者ではない主体が自身の作品や研究を通じて戦争を表現するとき、そこにはどのような葛藤や倫理的問いが生じるのか。
戦争を語ることの背面には、戦争という凄惨な出来事を語ることの不可能性がつねに張り付いている。他方で本書には、戦争を語ること、表現することをやめないという選択肢を引き受けた10組のアーティストや歴史実践者たちが登場する。現代美術、写実絵画、マンガ、小説、演劇、歴史研究、アプリ開発。異なるメディアやジャンルに携わる彼らに体当たりの取材を行ったのが、かねてより戦争の記憶継承問題に挑んできた映画監督の大川史織だ。大川は取材相手の自宅や仕事場、いちばん遠くはベトナムのハノイまでを訪ね、あたうかぎりの丁寧な聞き取り調査を重ねてきた。長旅の記録映画を思わせる本書は、2年近くに及ぶその活動の成果物である。
10組のインタビューからは具体的な体験のなかで培われた戦争との向き合い方が伝わってくる。イラク戦争で家族を殺された青年の視点をVRで鑑賞者に追体験させる作品を制作した小泉明郎。父の家族が満州で体験した戦争の記憶を現地取材のうえで画面に反映させていく諏訪敦。政治や戦争の記憶を織り込む染織の世界を探求する遠藤薫。彫刻家としての立場を背負いながら戦後日本のねじれた彫刻史に向き合う小田原のどか。追求する問題系もアプローチも十組十様だが、現在の時制から戦争を再考するというテーマについてはいくらかの共通する態度が見受けられた。例えば、加害と被害の構図の逆転可能性や表現行為が持つ暴力性への内省、戦争が噴出させる人間心理の矛盾への眼差し、日常や個人の体験を大事にする姿勢、善悪では割り切れない曖昧な領域に長くとどまって思考する粘り強さ、等々。
興味深いことに、本書にはアーティストたちの作品図版の類いが掲載されていない。徹頭徹尾「語り」に焦点を当てる構成なのだ。そのぶん、取材相手の言葉のきめ、息遣いといったものが繊細に拾われており、相手に応じてインタビューの形式を変える工夫も処されている。戦争を語ること、表現することの困難を個別の語りの内部や余白で発見させる本書は、インタビュアーのこうした配慮の賜物であるように思えた。
戦争の語りはこうであれ、という「強い」倫理性のかわりに、本書には「弱さ」や「脆さ」からも目を逸らさない個々人の信条が凛とした空気のように通っている。
(『美術手帖』2021年4月号「BOOK」より)