第3章「水辺と富士」では、“水辺”がキーワードとなる。隅田川や江戸湾、箱根・芦ノ湖など、水面越しに富士をとらえた作品群では、荒波や急流、静謐な湖面といった水の描写が、構図の中で重要な役割を果たしている。
この章で取り上げられる《相州箱根湖水》では、箱根の芦ノ湖が描かれている。現地に足を運んだ渡邉によれば、当初は富士が見えず落胆したものの、昼食後に雲が晴れ、突如として巨大な富士が姿を現したという。時間や天候によって景色が変わること自体が、北斎の構図に影響を与えていたのではないかと想像できる。

第4章「都市と街道の富士」では、都市や街道の風景に富士山が顔をのぞかせる作品が紹介されている。例えば《隠田の水車》では、現在の渋谷・キャットストリートに重なる暗渠となった隠田川沿いの水車小屋が描かれている。現地の地形図と照らし合わせると、構図上は高台から荷物を担いで下る人物が描かれているが、実際にはその場所は谷底にあたるため、地理的には成立しない描写である。それでも「こうした謎が多いという点もまた、北斎作品の面白さであると言えるでしょう」と渡邉は話す。

「どこから見たのか、どんなふうに見えたのかを想像する余地が、このシリーズにはたくさんあります。だからこそ、見るたびに新しい発見がある」と渡邉。見る者の想像力を喚起し続けること──それこそが、「冨嶽三十六景」が200年近く経ったいまなお、世界中の人々を魅了し続ける理由なのかもしれない。





















