トーベは、母親である挿絵画家シグネの影響を受け、幼い頃から画家を志していた。15歳のときにはすでに政治風刺雑誌『ガルム』で挿絵を発表し、以後20年以上にわたり同誌の表紙や挿絵を数多く手がけた。そこからは、彼女の鋭い社会批評の眼差しと、反戦への強い意志が感じられる。
また、戦後復興期には、市庁舎や病院、保育園など公共施設の壁画も数多く制作。50代以降には、挿絵のない大人向けの文学作品にも取り組み、10冊以上を刊行している。画家、挿絵画家、小説家として、トーベはジャンルを越えて創作を続けた。

第1章では、彼女の学生時代から1960年代前半までの油彩画も展示されている。印象派の影響を感じさせる初期作品から、抽象的な表現へと向かう変遷をたどることで、知られざる“画家トーベ・ヤンソン”の姿が浮かび上がる。


なかでも注目したいのが、「遊び」のスケッチ。これは、1950年代にトーベが手がけたアウロラ病院小児病棟の壁画コンペに提出されたもので、階段を駆け上がるムーミンや仲間たちの楽しげな姿が描かれている。幼い患者たちの心を和らげることを意図したこのスケッチからは、芸術の持つ癒しの力と、トーベの人間的な優しさが伝わってくる。




















