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「パウル・クレー展──創造をめぐる星座」(兵庫県立美術館)開幕レポート【3/4ページ】

 しかし、同年に第一次世界大戦が勃発すると、クレーの色彩への関心が途切れ、戦場のイメージが想起される作品が描かれるようになる。クレーは当初、直接的な戦争の影響を受けていなかったものの、ともにチュニジアを旅したマッケは従軍ののち戦死、カンディンスキーも母国のロシアに帰省せざるを得なくなるなど、青騎士のメンバーは戦争をきっかけに離れ離れとなってしまう。このような悲劇がありつつも、それを直接的に描くことができないといった複雑な葛藤のなかで生まれた表現も、3章「破壊と希望」の作品のなかには見受けられる。

展示風景より、パウル・クレー《沈む世界を霧が覆う》(1915)
展示風景より、パウル・クレー《破壊された村》(1920)

 戦争によってドイツにアーティストらが不在となると、制作活動を続けられていたクレーの評価が次第に高まるようになる。とくにパリのシュルレアリスム運動の中心人物であった詩人のアンドレ・ブルトンは、1924年の「シュルレアリスム宣言」のなかで、クレーをこの運動の「先駆者」として言及した。

 クレー自身はこの運動に直接的に関わることはなかったものの、この時期はシュルレアリスムとの共鳴がうかがえる、無意識から立ち現れてくるような表現が増えるようになっていった。4章「シュルレアリスム」ではそういった作品や、クレー同様に取り上げられていたデ・キリコの作品なども展示されている。

展示風景より、パウル・クレー《小道具の静物》(1924)
展示風景より

編集部