プレイバック!美術手帖 1982年9月号 特集「シュルレアリスムの30年代」

『美術手帖』創刊70周年を記念して始まった連載「プレイバック!美術手帖」。美術家の原田裕規がバックナンバーから特集をピックアップし、現代のアートシーンと照らし合わせながら論じる。今回は1982年9月号の特集「シュルレアリスムの30年代」を紹介。

文=原田裕規

1982年9月号「シュルレアリスムの30年代」内、出口裕弘「『ミノトール』解題」より(P18~19)

多国籍・ジェンダーフリーなシュルレアリスムを再評価

 シュルレアリスムの時代から100年が経とうとしている。アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を発表したのは、1924年のこと。その約100年後の2022年に開催されるヴェネチア・ビエンナーレのメインテーマは「ミルク・オブ・ドリーム」。イギリスのシュルレアリスト、レオノーラ・キャリントンの著書からの引用である。

 それだけではない。メトロポリタン美術館とテート・モダンでも、2021年から22年にかけて、大規模なシュルレアリスム展が開催されている。しかし、なぜいまシュルレアリスムなのだろうか?

 このブームにはひとつの特徴がある。中南米やアジアなど、周縁地域におけるシュルレアリスムの展開に注目する視点だ。先述したキャリントンも、戦禍から逃れるため1942年にメキシコに移住し、2011年に亡くなるまでのあいだ、同地で暮らし続けた。彼女のように、芸術家が非西欧圏に拡散した契機として戦争の影響は大きいが、それだけではない。戦前より、シュルレアリストたちはグローバルなネットワークを形成していたからだ。

 日本から来た岡本太郎をはじめ、アルゼンチン人のレオノール・フィニ、チェコ人のトワイヤンなど、シュルレアリスムのサークルには多国籍な人々が出入りしていた。さらに、キャリントンやトワイヤンをはじめ、メレット・オッペンハイムやアイリーン・エイガーなど、数多くの女性たちが参加していたのもその特徴のひとつだ。単一的な「スタイル」ではなく、多国籍でジェンダーフリーな「運動」へシュルレアリスムが変化していったのは、主に1930年代のことだった。

 そんな時代のシュルレアリスムに着目したのが本特集である。メインで取り上げられるのは1933年に創刊された雑誌『ミノトール』だ。また、美術史家の末永照和は論考のなかで、シュルレアリスムが流派でも手法でもなく、切迫する世界情勢に対抗する広義の方法論であったことを強調している。

 これらのことから、シュルレアリスム再燃の背景には、当時といまの世界情勢を比較する視点が存在することがわかる。しかしそのいっぽうで、具体やもの派の「ブーム」のように、欧米の主要動向が周縁地域でどのように展開したかを探る近年の消費的な動向とも、この状況は近接している。

 ところで日本もまた、シュルレアリスムが花開いた主な周縁地域のひとつだった。かつての前衛の再燃がアクチュアルな問いになるか、一過性の消費として終わってしまうのか、いまなお「周縁」で暮らす私たちこそが、その答えを握っているのかもしれない。

『美術手帖』2022年2月号より)