第2章「大覚寺中興の祖・後宇多法皇―『嵯峨御所』のはじまり」では、同寺の中興の祖である後宇多法皇の事績を紹介。出家して大覚寺に入った後宇多法皇は、真言密教に帰依して伽藍整備を勧め、仙洞御所を新造した。ここでは後宇多天皇(法皇)の肖像ほのか、自らが筆をとって記した国宝《後宇多天皇宸翰 弘法大師伝》(1315)、崩御前に定めた遺告などを見ることができる。
室町時代以降火災や応仁の乱といった苦難を迎えながらも、歴代天皇に支えられた大覚寺。第3章「歴代天皇と宮廷文化」では、南北朝時代以降の天皇や門跡の実績が紹介される。なかでも注目は、平安時代中期に源満仲がつくらせ、歴代の清和源氏に継承された兄弟刀《太刀 銘□忠(名物 薄緑〈膝丸〉)》(13世紀)と《太刀 銘 安綱(鬼切丸〈髭切〉》(12〜14世紀)の同時展示だろう。
《薄緑 膝丸》は豪壮で腰反りの刀身に小乱の刃文を焼き入れたもの。大友家や田原家、西園寺家、安井門跡を経て大覚寺へと伝わった。また《鬼切丸 髭切》はやや細身で中反りの刀身に乱刃の刃文を焼き入れたもので、こちらは北野天満宮が所蔵している。それぞれ源氏の興亡と密接に関わる刀剣伝承を持っており、そろって展示される機会は非常に貴重だ。