2024.1.6

東博の未来図。文化財に迫る危機を見据えて

2023年秋、東京国立博物館で開催された「横尾忠則 寒山百得」展。この展覧会は、東博にとってはじめての現代美術作家の個展となった。同展の企画者である同館学芸企画部長である松嶋雅人は、これまでも「春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46」(2021)や「150年後の国宝展」(2022)など、東博では異例に見える展覧会を企画してきた。なぜ松嶋はこのような企画を続けるのだろうか?

聞き手・文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

松嶋雅人 提供=東京国立博物館
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地続きの美術史の先にあるもの

──東京国立博物館で開催された「横尾忠則 寒山百得」展の記者会見でハッとしたのですが、同展は東博では見たことのない現代美術作家による個展でした。東博=文化財を中心とした日本美術というイメージですが、まずはこの実施背景からお聞かせいただけますか?

 そもそも私自身が古美術といわれるものや、ファインアート、現代美術や近代美術、あるいはマンガ、アニメなどサブカルチャーといわれるものなど、ジャンル分けにまったく頓着しないで対象をみているので、横尾展が「現代美術の展覧会だ」という意識がなかったのです。日本でつくられた造形作品を、現代の東京国立博物館という場所で紹介することにどのような意味があるのか、そして来館者がどう楽しまれるかがもっとも重要なことと思っているので、ジャンル第一ではないのです。

「横尾忠則 寒山百得」展より

 私は子供のころから異常なほどテレビっ子で、ドラマもアニメーションも見続けていましたし、マンガも大好きだったんです。大学は絵描きになりたくて金沢美術工芸大学に芸術学という専攻で入学しました。そこでは油絵や日本画、塑造、木彫、染織なども学びましたが、実技専攻の人たちには、まったく太刀打ちできないと入学後、すぐに認識しました。目の前が真っ暗になって、自身の先行きを考えることもできず、ずっとモラトリアム状態になりました。就職活動もせずに美術史を学びながら、修士課程まで金沢で過ごして、博士課程で東京藝術大学大学院に入ったのですが、そこでもどこか力が入らない真剣さのないような勉強を続けていました。真っすぐに、ひたむきに美術史を学び始めたのは東博で働き始めてからではないでしょうか。勉強が足りていないので、学問的な意味で分野の定義やジャンル分けの理解が不足しているのではないかと思います。なので、様々な分野の研究も含めて一生懸命、いまも勉強しています。

 X(旧twitter)などで、私が企画した展覧会に「東博がやるべきでない」というような批判的なお声をいただくこともありますが、誤解していただきたくないのは、展覧会は当然、私が自分勝手にやれるものではありません。いくら自分で「これやりたい、あれもやりたい」と口走っても、当然ながら館内で認められないと事業として成立しません。

「横尾忠則 寒山百得」展会場となった東京国立博物館の表慶館

──横尾展のように前例がない展覧会だとすると、周囲を説得する苦労もより大きいように思えますが。

 とはいえ、「現存作家の作品」はいままでもずっと展示しているんですよ。例えば横山大観が存命だった頃には、彼の古美術の模写作品を購入して収蔵していますし、「アンリ・マチス展」(1951)の時点でマティスは存命でしたし、近年では本館で現存作家の根付を通年で展示しています。さらに2016年に「『時をかける少女』と東京国立博物館」で映画監督・細田守の企画展示もしました。そこで意識しているのは、「細田守の映像には日本絵画のエッセンスがそのまま流れ込んでいる」ということをきちんと説明するということ。つまり、一連の美術史を見せるうえで必要であれば現存作家・現代の作家も見せていくんだということです。だから横尾展にしても、日本の造形の歴史のなかで、どういった意味があるのかということを知ってもらおうという意図で開催しました。

──幅広い歴史を見せられる東博だからこそ、ということですね。

 その通りです。東博は明治5年(1872)に「文部省博物館」として開館した館で、それ以前の文化や造形と、それ以降の近代的な日本の文化を接続し、「近代国家・日本」として世界に打って出ようとした。しかしながら、万国博覧会などで紹介されてきたけれども、欧米の方々にとっていまいち理解がなされたとは言えなかった。現代においても日本の文化の特色や特性をわかりやすく伝えようする努力は、不断に続けられています。そのなかで歴史の接続を伝えるためには、西洋で定義付けられた「ファインアート」だけではなく、ポップカルチャーやサブカルチャーと呼ばれるものも視野に入れながら、日本の造形文化を紹介していこうと考えています。

 独立行政法人国立文化財機構法に「博物館を設置して有形文化財(文化財保護法(昭和二十五年法律第二百十四号)第二条第一項第一号に規定する有形文化財をいう。以下同じ。)を収集し、保管して公衆の観覧に供するとともに、文化財(同項に規定する文化財をいう。以下同じ。)に関する調査及び研究等を行うことにより、貴重な国民的財産である文化財の保存及び活用を図ることを目的とする」という文言がありますが、それをしゃかりきに言い募っても伝わらないでしょう。私はもっとわかりやすく、実感できる言葉にしないといけないと思っています。そういったことが東博は来館者とどう関わって、どうしていきたいのか、ということにつながっていくと考えています。

 文化財や貴重な品々を保存し、活用するというのは崇高なことであり、大切なことで、東博の全職員がそれに励んでいます。でも天災や戦災をくぐり抜け、現代にまで奇跡的に伝わった文化財を、1000年、2000年先の未来に伝えていくことの難しさが、広く認識されているかどうかといえば、強い懸念を持っています。

「横尾忠則 寒山百得」展より

東博は「ギリギリ」の状態