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「フェミニズムと映像表現」(東京国立近代美術館)会場レポート。フェミニズム・アートを美術史のなかで語る【4/5ページ】

 最後のキーワードは「対話」だ。4面スクリーンにそれぞれ映し出された都市の雑踏のなかを、自身を針に見立てたキムスージャが無言で見つめる《針の女》。「70年代のビデオアートに比して、空間で映像を見せることに重きを置くようになった2000年代頃の時代を象徴しているような作品だと思います。当館では2回ほど展示されていますが、以前に使った展示室よりやや小さめになるので、映像間の細かいサイズ調整などインストラクションを考えていただきました。自分自身も雑踏のなかに立っているような感覚になると思います」(小林)。筆者がかつて鑑賞した際には、川のように通り過ぎていく群衆のなかに一人で凛と立つその姿に、周囲と一人だけ意見が異なっても踏ん張るような意思の強さを感じた。いっぽう、同展の解説では、人々や風景を縫いあわせる行為のようでもあり、例え無言でも対話が生まれているようだとある。振り向かず、顔を見せないからこそ、鑑賞者それぞれに解釈を重ねられるのだろう。

「フェミニズムと映像表現」展示風景より、キムスージャ《針の女》(2000-01) 撮影=大谷一郎

 また、遠藤麻衣×百瀬文の《Love Condition》は「理想の性器」について粘土をこねながら対話を繰り広げた作品。そこから生まれた立体作品《新水晶宮》も展示している。議論に比べて軽視されがちな「おしゃべり」を掬い上げたという点で、先述した出光作品と共通点がある。「(出光さんの作品と比較して)遠藤さんと百瀬さんの作品では、問題を見つけてどう将来的に変革していくと自分たちにとってよりよい未来があるのかが対話の焦点になっていることに時代の違いを感じます」(小林)。出光作品の近所の友人関係と、遠藤と百瀬の友人関係には親密さの違いがあると思うが、小林の指摘は新しい世代の作品傾向としてうなずける。

「フェミニズムと映像表現」展示風景 撮影=大谷一郎

編集部

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