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「フェミニズムと映像表現」(東京国立近代美術館)会場レポート。フェミニズム・アートを美術史のなかで語る【3/5ページ】

 さて、3番目の「身体とアイデンティティ」は同展の核となるキーワードだ。今回紹介する作家たちはいずれもパフォーマンスに近い、あるいはパフォーマンスを記録した作品としても位置づけられる。自分の存在について思考するためにビデオを用いるリンダ・ベングリスの《ナウ》という作品には、3つのベングリスの頭部が登場する。先に録画されたベングリスの頭部を映し出すモニターの前に立ち、その光景を映す映像の前にさらに立ち、「いま」「いまなの?」という声と同時に、現実と仮想空間のズレが示される。

 また、ジョーン・ジョナスの《ヴァーティカル・ロール》は、「オーガニックハニー」と名付けた、自分の分身でもある架空の女性を演じた作品。カメラとモニターの信号の周波数が同期しない場合に起こる画面のズレを利用し、一定の間隔で拍子木やスプーンのカンカンと叩く音とともに、ジョナスの身体の一部が垂直に落ちる。その様子もイメージの分裂を感じさせる。「女性の単一的なイメージを分解し、複数化したい欲求があるのかもしれません」(小林)。

ジョーン・ジョナス《ヴァーティカル・ロール》(1972) Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York

 かつてパフォーマンス・アーティストのマリーナ・アブラモヴィッチに学んだ塩田千春の初期作品もある。有機的な物質でもある泥をかぶるパフォーマンスは、人工的な都市のなかで身体の感覚を求め、アイデンティティを取り戻すための儀式のようにも見える。いずれの作家もイメージと現実のズレを逆手に取り、「見られる女性身体」のイメージからの逸脱や乖離を試みている。

編集部

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