第4章 「何処までも惑星」 ―キリンジの光芒
三兄弟のアヴァンギャルドな言動はしかし、彼らを中央から周縁へと追いやり、いつしか歴史から消していく。越堂は展覧会とは距離をおき、東京府美術館の設立など美術界の発展に力を注ぐ。竹坡と国観は、大正末期からは官展への返り咲きを目指したようだ。「何処までも惑星」と称された竹坡は、彫刻・洋画の部門にも出品し、変わらぬ多才と奔放さを示すが、晩年には爆ぜるような熱量が抑えられた写実と精緻な構成の日本画に向かい、一貫して歴史画を探求し続けた国観は、生来の構図の上手さと人物描写をより洗練させていく。ここでは三者三様の個性が結晶したといえそうな作品たちを見ることができる。
特集展示では「清く遊ぶ―尾竹三兄弟と住友」と題して、三兄弟の作品を購入し、宴席にも招いていた住友家第15代当主・住友春翠との交流を伝える作品が並ぶ。《席画合作屏風》からは闊達で楽しげな兄弟の筆さばきを実感できるし、春翠死去の翌年に越堂から届けられたという《白衣観音図》には、注文主と画家を超えた想いが感じられて、ちょっと切なくなる。
新時代に新しい日本画の意義とあり方を求めて、多くの画家が自己と世界に対して挑んだ近代。そのために成立した展覧会というシステムは「制度」として権威を持ったとき、中央と周辺という格差を生んだ。たぐいまれな画力と感性を持った三兄弟は、その光と影に翻弄され、それでも、いやだからこそ、その歪みに挑み、自身の価値を世に問い続けた。やんちゃ三兄弟の革新性と魅力を楽しむと同時に、いまこそ改めて「近代」を見直す時期なのかもしれない。