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「没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―」(サントリー美術館)開幕レポート。堪能するその多彩な手つき【3/4ページ】

 「第2章 島一蝶時代」は、三宅島へ流罪になっていたときに描いた、いわゆる「島一蝶」を紹介する。

 40代ですでに不動の人気を得ていた一蝶だが、徳川綱吉の「生類憐みの令」を皮肉った流言に関わった疑いで捕らえられ、1698年(元禄11年)に三宅島へ流罪となる。この島流しには別の理由があったとされているが、いずれにせよ原則無期であり江戸に戻ることは絶望的な刑だった。

 この配流中の作品は、江戸の知人たちから発注されたものと、三宅島や近隣の島民のために制作されたもののふたつに大別される。吉原の様子を擬似体験できるような絵巻《吉原風俗図巻》などは、江戸の知己のために描かれたとされる作品だ。

展示風景より、《吉原風俗図巻》(1703、元禄16年頃)サントリー美術館

 いっぽう、一蝶は島のために神仏図や吉祥画など、現世利益を求める画題の作品を島に残した。《神馬図額》と《大森彦七図額》はいずれも三宅島の南方にある御蔵島の稲根神社に伝わった絵馬。前者はたてがみや尾の毛1本1本が丁寧に描写されており、後者は南北朝時代の武将・大森盛長が鬼女と出会ったときの様子が表情豊かに描かれている。

展示風景より、《神馬図額》(1699、元禄12年頃)東京・稲根神社
展示風景より、《大森彦七図額》(1699、元禄12年頃)東京・稲根神社

 《鍾馗図》は新島に伝わった作品で、厄祓いとして信仰されてきた中国の伝説上の大鬼・鍾馗を描いたもの。島の人々の信仰のために、一蝶が様々なモチーフを描いていたことがわかる。

展示風景より、左が《鍾馗図》個人蔵

編集部

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