現代のフランスを代表するアーティストであるフィリップ・パレーノ。その日本における最大規模の個展「フィリップ・パレーノ:この場所、あの空」が箱根のポーラ美術館で始まった。会期は12月1日まで。担当学芸員は鈴木幸太と近藤萌絵。
パレーノは1964年オラン(アルジェリア)生まれ、パリ在住。80年代末以降、映像、音、彫刻、オブジェ、テキストやドローイングなど多岐にわたる作品を制作してきた。先進的なテクノロジーを積極的に採り入れながら、様々なアーティスト、建築家、音楽家との協働を行っている。
近年、「VOICES」(リウム美術館、2024)、「Echo2: a Carte Blanche to Philippe Parreno」(ブルス・ドゥ・コメルス、2022)、「Echo」(ニューヨーク近代美術館、2019年)、「Anywhen」(テート・モダン、2016)、「 Anywhere, Anywhere Out of the World」(パレ・ド・トーキョー、2013)、「8 juin 1968 ‒ 7 septembre 2009」(ポンピドゥー・センターパリ、2009)など大規模個展を次々に行うなど、精力的に活動を続けるパレーノ。日本国内ではワタリウム美術館において2019年〜20年にかけ「オブジェが語りはじめると」を開催し、25年には「岡山芸術交流」でアーティスティック・ディレクターも務める。今日もっとも注目される作家のひとりと言っても過言ではない。
ポーラ美術館での展覧会では、同館の新収蔵作品であり作家の代表作である映像作品《マリリン》(2012)をはじめ、初期作品から初公開のインスタレーションまで、作家の幅広い実践を多面的に紹介するものとなる。会場は壁を廃したシンプルかつダイナミックなもので、作品同士のつながりが際立つ構成が特徴的だ。
展示の冒頭を飾るのは、《私の部屋は金魚鉢》(2024)。展示室にふわふわと浮かぶ多数の魚は、マイラー・フィルム製の体をヘリウムで満たしたバルーン。作家の手によってひとつずつ描かれた瞳が印象的な魚たちが、「水槽」となった展示室を優雅に泳ぐ。鑑賞者は自由にこの魚たちに触れることができ、作品と自由に関係性を築くことができる。
隣の展示室は、ポーラ美術館が新収蔵した映像作品《マリリン》を中心とした構成だ。同作は、マリリン・モンローが1955 年の映画『七年目の浮気』のロケのために住んでいたニューヨークのホテル「ウォルドーフ・アストリア」の部屋を舞台に撮影されたもの。マリリンの姿形はどこにも見えないが、その声、視線、筆跡をテクノロジーによって再現することで、マリリン・モンローの姿を暗に浮かび上がらせている。
この部屋の外には、《マリリン》と接続するように大型作品《ヘリオトロープ》(2023 / 2024)が設置されている。コンピュータ・プログラムで制御されたモーター駆動で動くこの作品は、巨大なミラーが太陽光をとらえ、オレンジ色の反射光を投射。美術館では通常避けられる太陽光を展示室の中に届ける仕組みだ。加えて、箱根の残雪から着想された《雪だまり》(2024)が展示室の壁面に蓄積し、箱根の自然と無機質な展示室を接続させる。
本展では数多くのドローイングも展示されている。《マリリン》や現在撮影中の新作《100の問い、50の嘘》などのために描かれたドローイングは「独立した作品」というよりも、あくまでスケッチ的な意味合いが強いという。しかしながらそのクオリティの高さには注目すべきだろう。そしてこれらドローイングを展示するガラスケースはリズミカルに明滅を繰り返し、展示室そのものが鑑賞者とコミュニケーションを取ろうとしているかのような印象を与える。
天井いっぱいに浮かぶ黄金のバルーン。これは、1997年から継続的に様々な色で制作されている「ふきだし」シリーズの最新作《ふきだし(ブロンズ)》(2024)だ。当初、この作品はある労働組合のデモンストレーションのために制作されたものだった。しかしその意味は変化し、空白のふきだしは言葉の無力さ、あるいは声なき声の存在を示唆するようだ。
展示の最後は、コウイカを主人公とする映像作品《どの時も、2024》(2024)がその中心となる。パレーノは自らコウイカを飼育し、これまでも度々作品に登場させてきた。本作では、コウイカが壮大なSF映画のようにとらえられており、小さな存在でありながら高い知性を持つ存在に潜むマクロコスモスの世界が鑑賞者に向けられる。この映像が終わると、同じ展示室で《マーキー》(2024)が有機的な明滅を繰り返し、部屋全体に生物的な反応が広がっていく。
本展の英題は「Places and Spaces」。パレーノはこのタイトルについて、「場所と建物に対していかに反応し、展覧会に反映させるか。私は『もの』ではなくいかに『展覧会』をつくるかを考えてきた。ポーラ美術館の建築を読み込み、ゲストのひとりとして、いかにそこに介入できるかを考えた」とし、こう語る。「それぞれの作品は音符のようなもの。それをどう並べるかによって、(過去の作品であっても)新しい曲になる。同じスペースで共鳴し、新しいかたちをもたらすこともあるのだ」。
平面、立体、インスタレーション、映像など、表現手法を超えて多様な作品を生み出すパレーノ。大きなひとつのシークエンスのような展覧会のなかで、その軽やかさ、自由さに触れてほしい。