想像もしなかった美術館の世界
──就任から半年あまりが経ちました。ホテルの業界からの館長就任というのは美術業界では異例であり、大きな驚きをもたらしたと思います。まずはこの就任の経緯と、決断に至った理由をお聞かせいただけますか。
私は29歳のときから30年ほどホテル業界におり、現場だけではなくホテルコンサルティングにも携わってきました。2020年の3月で長く務めていたハイアットを退職したのですが、ちょうどコロナ禍だったので、今後のキャリアのことをゆっくり考える時間ができました。ホテル業界も大変なときで、別のホテルの総支配人になってほしいというオファーはありましたが、もっと広い視点で社会に貢献できる仕事をして、自分のキャリアの最後にしたいなと思ったんです。
私は箱根に長く住んでおり、強羅の観光協会とも一緒に仕事をしていたこともあり、箱根のいろんな方々から「手伝ってほしい」というお声がけもいただきました。恩返しという意味で、地域活性やホテル業界の発展が自分の60歳からのキャリアになるのかな、というのがなんとなく自分のなかで見えてきた頃でした。
──つまり、美術館館長というキャリアはまったく考えていなかったわけですね。
もうまったく! もちろんポーラ美術館のことはよく知っていました。私にとってはホテルのVIPのお客様を案内する場所でもあり、安心感がある美術館だったんです。
私が地域活性に貢献しようというなかで、ポーラ美術館は2032年ビジョンを策定し、そのなかに「地域との協業による共栄」を盛り込んでいました。ポーラ美術館にはすでに素晴らしい学芸員チームがあり、コレクションもある。今後のポーラ美術館にとって足りていないピースを埋めていくとしたら、そのひとつが地域と美術館を結ぶ役割だったのだと思います。またここは観光地の美術館、旅の途中にある美術館です。そう考えたときに、ホスピタリティの観点からも役に立つという点から、私に白羽の矢が立ったのではないでしょうか。
──まったく違う業界に不安はなかったですか?